百済・新羅・任那は日本の家来2
投稿者: CDU_CSU 投稿日時: 2001/04/22 23:24 投稿番号: [2887 / 60270]
その後391年高句麗が百済に侵攻し百済第16代辰斯王を屈服させると(史)
応神3年(393年)日本は百済に侵攻し辰斯王を廃し17代阿華王をたてた。(書)同時に新羅にも侵攻して屈服させ日本を裏切らないよう人質(第17代奈勿王の王子、未斯欣)を日本に送らせた。(書)この年の日本の大侵攻は広開土王碑文にも書かれているし(倭以辛卯年來渡海破百済任那?新羅以為臣民)(以為臣民=けらいにした)未斯欣の人質の話は(史)(遺)にも載っている。このころの日本の国力の大きさは世界最大規模の面積を誇る応神・仁徳天皇陵古墳に現れておりこの時代日本は百済・任那・新羅をしたがえ絶頂期を迎えた。
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