イルクジ抗議してこい
投稿者: daemon_tools 投稿日時: 2002/11/11 12:14 投稿番号: [27913 / 60270]
老斤里(ノグンリ)の虐殺
1950年7月,朝鮮戦争が始まって約1ヶ月後のことです.当時,十分な進攻の準備を整えた北朝鮮軍は,38度戦を超えて破竹の勢いで南下していました.逆に不意をつかれた米軍と韓国軍は,混乱の中を一路南へ向け敗走中でした.忠清北道でも道都の大田市が北側の手に落ちました.ヨンドン郡ファンガン面老斤里(ノグンリ)の一帯は,敵味方入り乱れ,混乱のさなかにありました.
7月26日,ヨンドン郡イムゲ里とジュゴク里の住民約500名に,米軍から避難勧告が出されました.「安全なところに避難させるから南下しろ」との米軍兵士の言葉に従い,住民は荷造りをして避難の途につきました.
午後1時頃,米軍に案内された避難民たちは,ノグン里にある京釜線の鉄橋に集合しました.米軍はこの時,避難民の荷物を検査し,芝刈り用のカマやノコギリなど武器になりそうなものはすべて押収したといわれます.
住民を指揮していた米軍兵士たちは,本部と無線連絡を取った後,その場を離れました.すると間もなく米軍のP51ムスタング戦闘機が現れました.戦闘機は,鉄橋の上にいた避難民をめがけて機銃掃射を始めました.逃げまどう避難民を銃弾が容赦なく襲いました.人々は先を争って鉄橋下の水路用トンネルへと駆け込んでいきました.しかし,そこは避難所ではなく,彼らの墓地になってしまったのです.
米軍はトンネルの両側の出口に機関銃を設置しました.そして一斉射撃を加えました.逃げ場を失った避難民たちは,理由もわからないまま死体の山を築いていくしかありませんでした.銃撃はその後も米軍が撤退するまで,3日間にわたって断続的に続けられました.夜半の闇をついて逃げ出した一部の青・壮年を除いて,老人と子ども,婦人たちのほとんどは殺されてしまいました.
身元が確認された死者の数だけでも121名.実際の犠牲者は300名を下らないと推定されています.死体の間で息をひそめていた人々が自らの生存を確信したのは,7月29日,「米軍たちは後退しました.安心して出てきなさい」という,北朝鮮軍兵士の声によってでした.
http://korea.s12.xrea.com/archive/koreawar.html
これは メッセージ 27912 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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