なぜ韓国人は狂ったのか
投稿者: nihonjin_de_yokatta 投稿日時: 2002/07/14 00:27 投稿番号: [23851 / 60270]
ヨチヨチ歩きの赤ん坊(韓国)がテーブルに頭をぶつけたとき、いくら泣いてもテーブルはどいてくれません。痛い思いをしたくなかったら自分の方が相手に合わせなくてはなりません。赤ん坊(韓国)は最初、自分を中心に世界が回っていると思っていても、柱にぶつかったりしながら、自分ではどうにもならないテーブルや柱といった物理的な存在を受け入れて、現実に適応していきます。
しかし、境界例の所で説明したような母子関係の場合はどうでしょうか。
赤ん坊(韓国)が母親(日本)から精神的に分離する時期に、母親(日本)が無意識的にこれを妨害するよな場合です。物理的な現実の方は、頭をぶっつけたりして否応なく受け入れていきますが、精神的な現実は、歪んだ母子関係によってあいまいなままにされてしまいます。精神的な分離があいまいなままごまかされてしまうので、現実の認識も歪んできます。そして、精神的に自立する不安に堪えられず、生まれたばかりのころのような自己中心的な万能感に浸ることで、この不安を回避しようとします。そして、この万能感は母子関係によってさらに強化されることがあります。
さらに、子供(韓国)の心には依存心をもてあそぶ親(日本)への憤りも発生してきます。親(日本)の立場というのは赤ん坊や子ども(韓国)からすれば圧倒的に優位な立場にあります。そして、見捨てられた自分(韓国)は圧倒的に弱くて惨めな状態にあります。この力関係はどうにも動かしようがありません。そこで、一つの解決方法として、空想の中で立場の逆転を起こそうとすることがあります。見捨てられた惨めな自分(韓国)を否定して、それとは反対に自分(韓国)が親(日本)よりも優位に立って親(日本)に復讐するのです。空想の中で、不安をもてあそぶ卑しい親(日本)に対して、繰返し勝利を体験し、無限の優越感を味わうのです。
親子の立場を逆転させ、親(日本)への復讐が輝かしい勝利をもたらすという空想の「快感」に依存するようになると、この快感は強化されて恍惚状態と言ってもいいようなものになります。これが自己愛の輝きのもとになるものです。しかし、この勝利は「現実」ではありません。本当の自分(韓国)は、親(日本)にもてあそばれる惨めな敗北者です。こんな哀れで惨めな自分(韓国)はとても受け入れられなのです。輝かしい勝利の空想だけが、自分(韓国)を救ってくれるのです。
誇大感に満ちた空想は現実感を失わせてゆきます。たとえば、本当は自分が他人に嫉妬しているのに、他人が自分に嫉妬していると思ったりします。他人から批判されると、あれは私に嫉妬しているからだとなります。こういう詭弁によって立場を逆転させるのです。
なにがなんでも自分が優位に立たなければなりません。自分が劣っていることを認めることは、幼いころの痛々しいくらいに哀れで惨めな自分に結びついてしまいます。ですからどんな卑怯な手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない妄想であろうと、自分を守るためにしがみつかざるを得ません。
他人から侮辱されたと思い込んだりした場合、自分を守るために、非常に激しく怒ったりします。あまりにも自己中心的な怒り方なのですが、本人は必死です。
妄想の種になるようなものがないときは、他人の欠点を捜し出して見下したりします。ありとあらゆる理由をつけて他人を見下します。貧乏人の癖に、不細工な顔をしているくせに、頭が悪いくせに……。実際にどうであるかということよりも、とにかく見下すことができればそれでいいのです。
他人を見下すということは、ときには他人からの報復攻撃として、自分が陥れられるかもしれないという疑いを生み、非常に疑い深くなったりします。他人に心を開くことなく、自分の妄想の殻の中に閉じこもってしまいます。
こういったことは様々な不都合を生みますが、利点としては自我の崩壊を防ぐことができるということです。もし、妄想が崩れたら一気に鬱状態になったり、あるいはパニックになったりしますが、少なくとも妄想にしがみついていられる間はこのような悲惨な状態にはなりません。
しかし、現実というものがひたひたと足元に忍び寄ってきます。砂の城は波によって崩されていきます。妄想という砂の城を維持するためには、現実の脅威に対して妄想を補強し続けなければなりません。やがて、妄想が維持できなくなったとき、悲惨な現実にうちのめされてしまうのです
しかし、境界例の所で説明したような母子関係の場合はどうでしょうか。
赤ん坊(韓国)が母親(日本)から精神的に分離する時期に、母親(日本)が無意識的にこれを妨害するよな場合です。物理的な現実の方は、頭をぶっつけたりして否応なく受け入れていきますが、精神的な現実は、歪んだ母子関係によってあいまいなままにされてしまいます。精神的な分離があいまいなままごまかされてしまうので、現実の認識も歪んできます。そして、精神的に自立する不安に堪えられず、生まれたばかりのころのような自己中心的な万能感に浸ることで、この不安を回避しようとします。そして、この万能感は母子関係によってさらに強化されることがあります。
さらに、子供(韓国)の心には依存心をもてあそぶ親(日本)への憤りも発生してきます。親(日本)の立場というのは赤ん坊や子ども(韓国)からすれば圧倒的に優位な立場にあります。そして、見捨てられた自分(韓国)は圧倒的に弱くて惨めな状態にあります。この力関係はどうにも動かしようがありません。そこで、一つの解決方法として、空想の中で立場の逆転を起こそうとすることがあります。見捨てられた惨めな自分(韓国)を否定して、それとは反対に自分(韓国)が親(日本)よりも優位に立って親(日本)に復讐するのです。空想の中で、不安をもてあそぶ卑しい親(日本)に対して、繰返し勝利を体験し、無限の優越感を味わうのです。
親子の立場を逆転させ、親(日本)への復讐が輝かしい勝利をもたらすという空想の「快感」に依存するようになると、この快感は強化されて恍惚状態と言ってもいいようなものになります。これが自己愛の輝きのもとになるものです。しかし、この勝利は「現実」ではありません。本当の自分(韓国)は、親(日本)にもてあそばれる惨めな敗北者です。こんな哀れで惨めな自分(韓国)はとても受け入れられなのです。輝かしい勝利の空想だけが、自分(韓国)を救ってくれるのです。
誇大感に満ちた空想は現実感を失わせてゆきます。たとえば、本当は自分が他人に嫉妬しているのに、他人が自分に嫉妬していると思ったりします。他人から批判されると、あれは私に嫉妬しているからだとなります。こういう詭弁によって立場を逆転させるのです。
なにがなんでも自分が優位に立たなければなりません。自分が劣っていることを認めることは、幼いころの痛々しいくらいに哀れで惨めな自分に結びついてしまいます。ですからどんな卑怯な手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない妄想であろうと、自分を守るためにしがみつかざるを得ません。
他人から侮辱されたと思い込んだりした場合、自分を守るために、非常に激しく怒ったりします。あまりにも自己中心的な怒り方なのですが、本人は必死です。
妄想の種になるようなものがないときは、他人の欠点を捜し出して見下したりします。ありとあらゆる理由をつけて他人を見下します。貧乏人の癖に、不細工な顔をしているくせに、頭が悪いくせに……。実際にどうであるかということよりも、とにかく見下すことができればそれでいいのです。
他人を見下すということは、ときには他人からの報復攻撃として、自分が陥れられるかもしれないという疑いを生み、非常に疑い深くなったりします。他人に心を開くことなく、自分の妄想の殻の中に閉じこもってしまいます。
こういったことは様々な不都合を生みますが、利点としては自我の崩壊を防ぐことができるということです。もし、妄想が崩れたら一気に鬱状態になったり、あるいはパニックになったりしますが、少なくとも妄想にしがみついていられる間はこのような悲惨な状態にはなりません。
しかし、現実というものがひたひたと足元に忍び寄ってきます。砂の城は波によって崩されていきます。妄想という砂の城を維持するためには、現実の脅威に対して妄想を補強し続けなければなりません。やがて、妄想が維持できなくなったとき、悲惨な現実にうちのめされてしまうのです
これは メッセージ 1 (you_beaut さん)への返信です.