>>鉄
投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2002/02/14 23:11 投稿番号: [20444 / 60270]
最初に、私は任那日本府に関しては、「その存否、および具体的な内容に関しては何とも言えない」と言う立場です。
その上で、
>単に海超えて戦争する余裕も意味も無かったんじゃないですかね?
半島側の国家(百済・新羅)に関しては、仰る通り半島内および中国側との高い緊張関係からこれは言えるでしょうが、倭人側は、純軍事的には可能だったと思います。
当時の国家は、現代人のイメージと異なり、都市国家(点)を線で結んだだけの集合体ですから、海を越えて攻撃するなら、海賊のように点を狙えば良いだけのはず。
一方で、防衛する側は当然面で防衛を考えなくてはならないので、コスト的に見て全くつりあいません。
また、当時は常備軍システムではなく、軍団の動員能力は指導者の力量一つで決まるので、攻撃側が情報さえつかんでいれば、戦争は充分行い得たでしょう。
この場合、渡海技術さえあれば良いだけで、半島から大量の渡来人が列島に渡来していた以上、逆も当然可能と考えられます。
(同じ船を使って返っても良いわけですから)
トータルで見てどちらの勢力がより強かったのか?は何とも言えませんが、上記の面に関しては、倭の方が条件的に優位に立っていた可能性は否定できません。
現代的に考えると誤解を生じやすいのですが、倭は百済、新羅と全面戦争をする必要はなかったわけです。
遊牧騎馬帝国が中原王朝に対して優位に戦争を行い得たのと同じようなものでは?
まあ、これはあくまで一つの説ですけど。
>朝貢の名の下に背後の安全を買ってた
こういう意味はあると思います。
私は、百済に関しては、より積極的に大和朝廷を政治的に百済化しようとしたのではないかと思ったりもしてますので。
(戦争を立技とすれば、これは寝技)
これは メッセージ 20442 (bianchi20022002 さん)への返信です.
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