>織田信長
投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2002/02/12 18:53 投稿番号: [20362 / 60270]
信長については諸説あるようです。
ただ、皇統の簒奪を目論んでいたというよりは、新しい絶対王制を志向していた気がします。
伝えられているところによると、安土城の天守閣上部には、彼が自らと一体と称した御神体(神石)を安置して、配下の大名たちに服従と帰依を強要していたらしい。
信長は、右大臣を最後に官職からは手を引いていたところを見ても、天皇位には関心がなかったのではないかと思います。
本能寺の変に関しては、
光秀単独犯
光秀+京都公家勢力
のほかに、
光秀忠臣説もありますね。(一種のトンデモ説ですが)
これによれば、本能寺の変の真犯人は細川藤孝。彼と京都公家、京都の豪商、宣教師一派が組んだものとされています。
光秀は、この計画を阻止すべく京都に軍勢を入れたのですが、時すでに遅く、罪を擦り付けられた、というのがこの説の粗筋らしい。
後はウラで手を引いた志操者が羽柴秀吉か徳川家康かというところでしょうか。
細川藤孝と公家勢力の動機は言うまでもないこと。
京都の豪商に関しては、2〜3年前に信長は京都の半分を焼き討ちしており、そのときターゲットにされた連中の恨みを買っていたとのこと。
宣教師については、信長は晩年はキリスト教禁教の方向に向かっていたらしいです。
説の真偽はともかく(正直に言ってかなり疑わしい)、バチカンには宣教師が送った膨大な報告書が残されているはずなので、ラテン語を勉強して閲覧させてもらえないか考えたことはあります。
まあ、残されている資料から信長と光秀のエコグラム分析を行うと、両者のパートナーシップは、精神的な意味で、当初非常に良好だったにもかかわらず、晩年にはきわめて悪化していたらしいので、光秀主犯説のほうが説得力はあるでしょうね。
これは メッセージ 20347 (shinkuuboakagi555 さん)への返信です.
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