日本は何故、反省しないのか?

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元寇 その後・・・

投稿者: hontokasila 投稿日時: 2002/02/11 22:35 投稿番号: [20324 / 60270]
  元寇後、鎌倉幕府は滅び、室町幕府が封建体制を引き継ぎました。
  また大陸においても、朱元璋が蒙古軍を追い払い、中国の民族王朝「明」をうち立てました。
  明は国土統一後、いちはやく日本との修好を目指しました。
  元寇以来、大陸と日本の間ではまともな国交はなかったのです。

  明は何度も室町幕府に使節を派遣しましたが、すべて斬り殺されました。
  室町幕府は大陸の情勢に暗く、明が求める修好は日本を属国とする陰謀であると決めつけていたのです。

  明はこれに対し、決して武力を用いず、あくまでも誠意を尽くして、使節を派遣し和平を訴えました。

  室町幕府も明側の意図である平和的な国交回復をようやく信じることとなり、ここに国交が回復され、日明貿易が行われることとなったのです。

  使節団が何度も斬首されるという、当時としても、常識外の無礼な外交的な対応をされながら、ひたすら明は堪え忍び、平和的な手段で国交を求めてきたのです。

  日本側にこれほど無礼な対応をされながら、なぜ、中華思想の強い明側は大軍団を派遣し、日本を軍事的に屈服させようとしなかったのでしょうか?
  明にそれだけの力がなかったのでしょうか?
  いいえそうではありません。
  当時の明は永楽帝の時代に大艦隊をアラビアに派遣するほど国力が充実していたのです。
  日本海を渡って軍団を派遣することなど簡単だったはずですが、なぜかそうせず、あくまでも我慢に我慢を重ね、平和的手段に訴えたのです。

  私は日本と中国の間にはやはり、特殊な関係というか感情があったのだと思います。

  ちょっと説明しにくいのですが、宗主国と属国という関係を超えた同志的感情とでもいうものがあったと思います。

  例えば今日、日本人は中国人の名前を日本風に呼びます。
  毛沢東は「マオツオトン」が正しい呼び方なのですが、日本人は「もうたくとう」と日本風に呼び、中国人は誰もこれについては抗議しません。
  また、中国人は日本人の名前を中国風に呼ぶのですが、これについても日本人は特段文句を言いません。

  つまり、「漢字」という文化を通じて、文化の相互乗り入れがあるのだと思います。

  私が時々言う日中間の特殊な関係とはそういう意味です。
  つまり、日中間ではお互いに文化の違いを認め合っているのです。

  韓国人は自分の名前を日本風に呼ぶことは絶対に認めませんね。
  金大中は「キムデジュン」と呼ぶように日本人に強要します。
  この方が呼び方としては正しいのかも知れませんが、一事が万事、韓国人はこのような態度を日本人に対して取るので、日本人は中国人に対するような親近感や文化的連帯感をどうしても韓国人に対しては感じないのですよ。
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