こっちだ 半月城のHPより
投稿者: dobumausu 投稿日時: 2002/01/31 04:48 投稿番号: [19717 / 60270]
こうした主張はもっともなので、私はいつも「慰安婦」とカッコ付きで書
くようにしています。一方、「性奴隷」という用語ですが、これは誰も「慰安
婦」を辱めるために「性奴隷」といっているのではないと思います。私は「慰
安婦」の実態を知れば知るほど、その名がふさわしいのではないかと思います。
実際に元「慰安婦」自身、自分たちの立場を「性奴隷」に近いとらえ方を
しています。たとえば、先日判決のあった「関釜裁判」の被告、李順徳さんは
こう語りました(注5)。
「8年間、女として人間以下の犬のような扱いをされた。30万円とは冗談
じゃない。言葉では語れない、ひどい目にあった。今では目が見えなくなり、
一人では生活できない。ちゃんと謝罪と賠償をしてほしい」
裁判の判決文には、彼女の供述や陳述が下記のように書かれていますが、
これを読むと、彼女の「犬のような扱い」という申し立てもうなずけます。
----------------------
上海に着いた後、同女らは、幌のないトラックの荷台に乗せられ、右軍人
のうち一人は運転席の横に座り、残りの二人は荷台に乗った。右トラックの運
転手も旧日本軍の軍人であった。同女らは、約 3時間くらいトラックに乗せ
られ、旧日本軍の駐屯地に連れて行かれた。
同女らは陸軍駐屯地の大きな軍用テントの近くに転々と置かれた小屋に一
人ずつ入れられた。その小屋は、むしろの壁に萩の木で編んで作った傾斜のな
い屋根が葺かれ、2,3畳の広さの床は枯れ葉を敷いた上にござを敷き、その
上に国防色の毛布を敷いた粗末な作りであった。そのため、雨が降ると雨水が
たくさん漏れてきた。
同女は、軍服と同じ色の上着とモンペを支給され、最初の二日間に血液検
査と「606号」という注射を打たれた。その「606号」という注射は、そ
の後も2週間に1回の割合で打たれた。
陸軍駐屯地に入れられて4日目に、星が3個ついた軍服を着たミヤザキと
いう年輩の将校が小屋に入ってきて、同女に執拗に性交を迫り、これに抵抗で
きなくなった同女を3日間にわたり毎晩犯した。
その後、多くの軍人が小屋の前に行列をつくり、次から次へと同女を強姦
し、昭和20年(1945年)8月の解放のときまで約8年間、毎日朝9時か
ら、平日は8,9人、日曜日は17,8人の軍人が、小屋の中で同女を犯し続
けた。
---------------------- -
この申し立てに対し裁判長は、慰安所の主人の名前や所在地、部隊名など
が明確でないが、これは彼女の境遇や年齢を考慮するとやむをえないもので、
そのために「陳述や供述の信用性が傷つくものではない」と述べ、次のように
判断しました。
「原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、本訴に至っ
て初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、本訴における同原告
らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消しがたい原体験に属するものと
して、その信用性は高いと評価され、先のとおりに反証のまったくない本件に
おいては、これをすべて採用することができるというべきである。
そうであれば、慰安婦原告らは、いずれも慰安婦とされることを知らない
まま、だまされて慰安所に連れてこられ、暴力的に犯されて慰安婦とされたこ
と、右慰安所は、いずれも旧日本軍と深くかかわっており、昭和20年(19
45年)8月の戦争終結まで、ほぼ連日、主として旧日本軍人との性交を強要
され続けてきたこと、そして、帰国後本訴提起に至るまで、近親者にさえ慰安
婦としての過去を隠し続けてきたこと、これらに関連する諸事実関係について
は、ほぼ間違いのない事実として認められる」
李順徳さんの証言に対し、日本政府は何の反証もしなかったので、裁判長
は彼女の証言をほぼ事実と認めました。河野談話を前提にしている日本政府に
してみれば、彼女の証言をごく自然に受け入れることができたものと思われま
す。
くようにしています。一方、「性奴隷」という用語ですが、これは誰も「慰安
婦」を辱めるために「性奴隷」といっているのではないと思います。私は「慰
安婦」の実態を知れば知るほど、その名がふさわしいのではないかと思います。
実際に元「慰安婦」自身、自分たちの立場を「性奴隷」に近いとらえ方を
しています。たとえば、先日判決のあった「関釜裁判」の被告、李順徳さんは
こう語りました(注5)。
「8年間、女として人間以下の犬のような扱いをされた。30万円とは冗談
じゃない。言葉では語れない、ひどい目にあった。今では目が見えなくなり、
一人では生活できない。ちゃんと謝罪と賠償をしてほしい」
裁判の判決文には、彼女の供述や陳述が下記のように書かれていますが、
これを読むと、彼女の「犬のような扱い」という申し立てもうなずけます。
----------------------
上海に着いた後、同女らは、幌のないトラックの荷台に乗せられ、右軍人
のうち一人は運転席の横に座り、残りの二人は荷台に乗った。右トラックの運
転手も旧日本軍の軍人であった。同女らは、約 3時間くらいトラックに乗せ
られ、旧日本軍の駐屯地に連れて行かれた。
同女らは陸軍駐屯地の大きな軍用テントの近くに転々と置かれた小屋に一
人ずつ入れられた。その小屋は、むしろの壁に萩の木で編んで作った傾斜のな
い屋根が葺かれ、2,3畳の広さの床は枯れ葉を敷いた上にござを敷き、その
上に国防色の毛布を敷いた粗末な作りであった。そのため、雨が降ると雨水が
たくさん漏れてきた。
同女は、軍服と同じ色の上着とモンペを支給され、最初の二日間に血液検
査と「606号」という注射を打たれた。その「606号」という注射は、そ
の後も2週間に1回の割合で打たれた。
陸軍駐屯地に入れられて4日目に、星が3個ついた軍服を着たミヤザキと
いう年輩の将校が小屋に入ってきて、同女に執拗に性交を迫り、これに抵抗で
きなくなった同女を3日間にわたり毎晩犯した。
その後、多くの軍人が小屋の前に行列をつくり、次から次へと同女を強姦
し、昭和20年(1945年)8月の解放のときまで約8年間、毎日朝9時か
ら、平日は8,9人、日曜日は17,8人の軍人が、小屋の中で同女を犯し続
けた。
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この申し立てに対し裁判長は、慰安所の主人の名前や所在地、部隊名など
が明確でないが、これは彼女の境遇や年齢を考慮するとやむをえないもので、
そのために「陳述や供述の信用性が傷つくものではない」と述べ、次のように
判断しました。
「原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、本訴に至っ
て初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、本訴における同原告
らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消しがたい原体験に属するものと
して、その信用性は高いと評価され、先のとおりに反証のまったくない本件に
おいては、これをすべて採用することができるというべきである。
そうであれば、慰安婦原告らは、いずれも慰安婦とされることを知らない
まま、だまされて慰安所に連れてこられ、暴力的に犯されて慰安婦とされたこ
と、右慰安所は、いずれも旧日本軍と深くかかわっており、昭和20年(19
45年)8月の戦争終結まで、ほぼ連日、主として旧日本軍人との性交を強要
され続けてきたこと、そして、帰国後本訴提起に至るまで、近親者にさえ慰安
婦としての過去を隠し続けてきたこと、これらに関連する諸事実関係について
は、ほぼ間違いのない事実として認められる」
李順徳さんの証言に対し、日本政府は何の反証もしなかったので、裁判長
は彼女の証言をほぼ事実と認めました。河野談話を前提にしている日本政府に
してみれば、彼女の証言をごく自然に受け入れることができたものと思われま
す。
これは メッセージ 19710 (GAMU_uri さん)への返信です.