産経からですけど、、、
投稿者: chaoticblue93 投稿日時: 2001/12/16 23:30 投稿番号: [16785 / 60270]
↓こういうのダメ?
「これほど誤解された国もなかった」
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http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9712/paper/1219/year/year.htm《飢餓の原因》
この飢餓はすさまじかった。「飢え死にした人たちを満載した荷車が市内をがらごろ行く。文字どおりの飢餓地獄だった」(小山)。ベトナム居残り組の一人、元陸軍伍長の落合茂(七七)は「ジアラム空港近くの高射砲陣地にいたが、周辺の辻に日本軍が大釜を置いておかゆの炊き出しをして配った」と語る。
ハノイの革命博物館にもその当時の惨状を伝える記録写真が残る。ただ、キャプションが小山の話とは少し違う。
「ファシスト日本は水田から稲を抜き、わずかなコメも取り上げて機関車の燃料にし、二百万人が餓死した」
ハノイ人民委員会の幹部はこう語る。
「実際はこの時期の大洪水による不作が原因だった。それに米軍の爆撃で南部からのコメの輸送が途絶えたことが飢餓に拍車をかけた」
機関車云々は「これは南部の話」という。南部の米、北部のホンゲイ炭というように北部では燃料にこと欠かなかったが、南部には石炭が届かず、「余ったモミを燃やして機関車を走らせたことはある」というのだ。
それがなぜ、日本の所業となるのか。「ベトナムは大戦の終わった年にはまだフランスと戦える力はなかった。独立戦争でも国際関係に目を配らなければフランスと対抗できる武器や弾薬の補給を得られなかった。ただ、日本を悪くいう分には彼らは喜んでくれた」という。政治的プロパガンダである。
ホーチミンの右腕だったボー・グエンザップは「抗日を旗印にしたが、日本が降伏するとホーは『日本人と戦うな。彼らを保護せよ』といった。日本人はその後もクアンガイの士官学校で軍事指導もしてくれた」と証言する。
ベトナムに上陸したマウントバッテンの報告書がこの老将軍の言葉を裏付けている。
「英軍、仏居留民に対するベトミンの執ような攻撃を防ぐため、降伏した日本軍兵士を再武装させ歩哨に立てた。ベトミンはしばらく攻撃を手控えたが、やがて日本人歩哨の間をすり抜けて居留地を襲い、数十人を殺害する事件が起きた。その間、日本人たちは所在無げに星空を見上げていた」(ルイス・アレン「戦争の終わった日」)
これは メッセージ 16781 (wenom6969 さん)への返信です.
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