>文化財について、、
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/03/23 23:33 投稿番号: [1622 / 60270]
>仏国寺:これは秀吉軍が火を放したのだ。
仏国寺が壬辰倭乱のときに焼け落ちたのは確かだね。でも、犯人が秀吉軍なのか明軍なのかは不明。
「1592年4月20日に慶州に入った加藤清正は「乱暴はいっさいしてはいけない。放火や人さらいをしてはいけない。地下人(じげにん=庶民)に対して勝手な労働をさせてはいけない。右に違反した者は厳罰に処する」という軍令をだし、また慶州の建造物その他にいっさい手をつけるな、という軍令も出している。そしてこのときは仏国寺は戦禍をまぬがれた。
しかしながら仏国寺はこの日本軍による侵略戦のときに焼け落ちているのである。いつ誰がどういう状況下でこの東洋の誇るべき寺を焼いたのか、ざんねんなことに日本側の資料にはない」
「天兵(天子の兵=明軍)が鴨緑江をわたって諸道をすすみ、所定の集結地に大会同したのは1597年12月19日で、その所定の集結地というのが慶州である。このときすでに仏国寺は焼け跡にすぎなかったか、それとも新羅時代の堂塔伽藍をなおとどめていたかどうか。私の力では調べがつかない。ただこの慶州の地が明軍の総司令官の大本営になっていたことは確かである」(司馬遼太郎『韓くにの紀行』)
>黄龍寺:これはモンゴル軍が日を放したのだ。
黄→皇
>慶福宮:これも秀吉軍と明治、大正の日本
>特に、植民地時代に日本人によって意図的に文化財が破壊されていた。
慶→景
景福宮に総督府の巨大な建物をたてたり昌徳宮に動物園を作っちゃったりしたのはたしかに酷い話しだ。でも、光化門が取り壊されようとしたとき、「失われんとする一朝鮮建築の為に」を書いて保存を訴え、移設を実現した柳宗悦のような日本人がいたことも覚えていてほしい。
なお、寺に関していえば、その破壊にもっとも熱心だったのはほかならぬ朝鮮政府だった。朝鮮の寺がほとんど山にしか残ってないのは、弾圧で山に逃げ込んだからだね。
パゴダ(タプコル)公園はもと、興福寺という寺だったが、大宗の崇物儒排仏政策で寺を廃し官衙とし、世祖はまた円覚寺として再興するが、燕山君は僧侶をみな追い出して寺を空にし官妓の大増員をやってここを大妓生ハウスにしてしまった。その後、儒者の猛反対を押し切って寺が再興されたのも束の間、明宗20年に火事で全焼。いまある仏塔の煤はそのときの名残だそうだ。
これは メッセージ 1572 (bakajaps さん)への返信です.
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