韓国の文化を破壊した日本
投稿者: hongiro 投稿日時: 2001/10/28 19:39 投稿番号: [13632 / 60270]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20011026-00000623-jij-soci
王宮の大門が復元=日本の破壊から85年ぶり−ソウル
【ソウル26日時事】ソウル中心部にある李氏朝鮮時代(1392−1910年)の王宮、景福宮の「興礼門」が26日、日本の植民地時代に取り壊されて以来85年ぶりに復元され、市民に公開された。
興礼門は、王宮の3つの大門の一つで、正殿の勤政殿と正面玄関に当たる光化門の間に位置する。日本は16年、興礼門を破壊し、跡地に朝鮮総督府を建設。96年、総督府の建物は撤去され、2009年の完成に向け景福宮全体の修復工事が進められている。
同日開かれた落成式に、金大中大統領は「復元は、日帝(日本帝国主義)の強圧政治に傷つけられた民族の自尊心を取り戻す意味が大きい」とのメッセージを寄せた。 (時事通信)
[10月26日19時15分更新]
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2001/10/26/20011026000010.html
再びそびえ立った景福宮の「興礼門」
景福宮(キョンボックン)の興礼門が再び偉容を現した。朝鮮王朝、韓国の近代史・現代史の栄光と汚辱を秘めた興礼門の落成式(建築物の完成を祝う儀式)が26日行われた。500年間壮麗な姿を誇り続けてきた朝鮮王朝の正宮が日本帝国主義により毀損されて約85年ぶりに本来の姿に一歩近づいた瞬間だった。
金東鍵(キム・ドンゴン)アナウンサーの司会で、景福宮広場で金徳洙(キム・ドクス)サムルノリ(かね・どら・チャング・太鼓を用いて行う農楽)のキルノリ(仮面劇に先立って踊り手たちが笛・太鼓などを吹き鳴らしながら村を練り歩く行列)と地神に祈る4・4調の「ビナリ」とともに幕開けした落成式は、大統領の祝賀メッセージと除幕式へと続いた。
白布に包まれていた扁額が姿を現すと、約2000人の観客から歓声と拍手が上がった。昌徳宮(チャンドックン)の進善門などの扁額を書いた中堅書道家の鄭道準(チョン・ドジュン)氏の楷書体作品。
続いて南宮鎭(ナムグン・ジン)文化観光部長官が3回太鼓を鳴らすと、固く閉ざされていた興礼門が大きく開いた。水不足の景福宮に北岳の精気を呼び込み、500年にわたる朝鮮王朝の歴史とともに流れた禁川(クムチョン)とその上に軽やかにかけられた石橋の永済(ヨンジェ)橋、そして正殿の勤政(クンジョン)殿と勤政(クンジョン)門の鮮やかな姿が目に飛び込んだ。
この日の落成式は、単なる王宮の復元行事ではなかった。文禄の役で灰となった興礼門を興宣大院君(1820〜1898)が270年ぶりに再建したのも朝鮮王朝の中興を誇示するためだったように、この日の落成式も「歴史再建」の意志を盛り込んだものだった。
建築史学者の金晶東(キム・ジョンドン)モクウォン大学教授は「中央博物館として使われた朝鮮総督府の拙速な撤去は多くの議論を呼んだが、実際、その場に復元された興礼門を目の当たりにして、感無量になった」と述べ、「今日は景福宮の新しい誕生日」と語った。
愼亨浚(シン・ヒョンジュン)記者
2001/10/26 20:10(FRI)
王宮の大門が復元=日本の破壊から85年ぶり−ソウル
【ソウル26日時事】ソウル中心部にある李氏朝鮮時代(1392−1910年)の王宮、景福宮の「興礼門」が26日、日本の植民地時代に取り壊されて以来85年ぶりに復元され、市民に公開された。
興礼門は、王宮の3つの大門の一つで、正殿の勤政殿と正面玄関に当たる光化門の間に位置する。日本は16年、興礼門を破壊し、跡地に朝鮮総督府を建設。96年、総督府の建物は撤去され、2009年の完成に向け景福宮全体の修復工事が進められている。
同日開かれた落成式に、金大中大統領は「復元は、日帝(日本帝国主義)の強圧政治に傷つけられた民族の自尊心を取り戻す意味が大きい」とのメッセージを寄せた。 (時事通信)
[10月26日19時15分更新]
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2001/10/26/20011026000010.html
再びそびえ立った景福宮の「興礼門」
景福宮(キョンボックン)の興礼門が再び偉容を現した。朝鮮王朝、韓国の近代史・現代史の栄光と汚辱を秘めた興礼門の落成式(建築物の完成を祝う儀式)が26日行われた。500年間壮麗な姿を誇り続けてきた朝鮮王朝の正宮が日本帝国主義により毀損されて約85年ぶりに本来の姿に一歩近づいた瞬間だった。
金東鍵(キム・ドンゴン)アナウンサーの司会で、景福宮広場で金徳洙(キム・ドクス)サムルノリ(かね・どら・チャング・太鼓を用いて行う農楽)のキルノリ(仮面劇に先立って踊り手たちが笛・太鼓などを吹き鳴らしながら村を練り歩く行列)と地神に祈る4・4調の「ビナリ」とともに幕開けした落成式は、大統領の祝賀メッセージと除幕式へと続いた。
白布に包まれていた扁額が姿を現すと、約2000人の観客から歓声と拍手が上がった。昌徳宮(チャンドックン)の進善門などの扁額を書いた中堅書道家の鄭道準(チョン・ドジュン)氏の楷書体作品。
続いて南宮鎭(ナムグン・ジン)文化観光部長官が3回太鼓を鳴らすと、固く閉ざされていた興礼門が大きく開いた。水不足の景福宮に北岳の精気を呼び込み、500年にわたる朝鮮王朝の歴史とともに流れた禁川(クムチョン)とその上に軽やかにかけられた石橋の永済(ヨンジェ)橋、そして正殿の勤政(クンジョン)殿と勤政(クンジョン)門の鮮やかな姿が目に飛び込んだ。
この日の落成式は、単なる王宮の復元行事ではなかった。文禄の役で灰となった興礼門を興宣大院君(1820〜1898)が270年ぶりに再建したのも朝鮮王朝の中興を誇示するためだったように、この日の落成式も「歴史再建」の意志を盛り込んだものだった。
建築史学者の金晶東(キム・ジョンドン)モクウォン大学教授は「中央博物館として使われた朝鮮総督府の拙速な撤去は多くの議論を呼んだが、実際、その場に復元された興礼門を目の当たりにして、感無量になった」と述べ、「今日は景福宮の新しい誕生日」と語った。
愼亨浚(シン・ヒョンジュン)記者
2001/10/26 20:10(FRI)
これは メッセージ 1 (you_beaut さん)への返信です.