日本は何故、反省しないのか?

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>証拠

投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/03/08 00:38 投稿番号: [1199 / 60270]
ついでに書いてしまおう。

「インドネシア高校歴史教科書」

独立宣言はいかに起草されたか。

Atas usaha Akhmad Subarjo yang bekerja pada Kaigun diperoleh tempat untuku mengadakan pertemuan di rumah Laksamana Tadashi Maeda di Jalan Imam Bonjol 1 Jakaruta Pusat. Laksamana Meda adalah wakil Angkatan Laut Jepan di Jakarta dan bersimati pada perjuangan bangsa Indonesia. Rumah kedudukannya menjamin keamanan terhadap kemungkinan campur tangan dari Angkatan Darat Jepan.....

「日本海軍で働いていたアーマド・スバルジョ氏の努力で会合を開く場所を確保できた。それはジャカルタ中央のイマンボンジョル通り1番地日本海軍提督前田精(ただし)の邸宅であった。前田は日本海軍のジャカルタにおける次席であり、インドネシア民族の独立への闘争に対して深い同情の念を持っていた。彼の邸宅のおかげで日本陸軍からの干渉を受けずに済んだのである。」

ーー背景説明ーー
スカルノやハッタ等の指導者に対し、より若い連中は即時の独立宣言を主張した。また陸軍は連合国との関係上、現状維持を主張していた。
いずれにしても、日本は降伏したが、オランダはまだ再びやってきていないという状況をとらえて、独立を宣言したのである。

前田の家で宣言文を練り(1945年8月16日)、翌17日朝10時歴史的独立宣言がスカルノによって全国民に発表された。これをインドネシアの教科書は堂々と書いている。

以後、オランダとの独立戦争が始まる。これにはそれぞれの隊を脱走してきた多数の日本兵が参加し、インドネシア人と共にオランダと戦った。

また多くの日本軍部隊は武器をどうしてもインドネシアの若者達に渡したかったので、連合国側には武器は日本側で破棄するといつわって、河原等に捨てた。あうんの呼吸でまちかまえていたインドネシア人がこの武器を持ち去った。こうしてインドネシア側にわたった武器は数万丁といわれている。この武器と元日本軍の兵士がなかったなら、インドネシアは後にやってきたオランダと絶対に戦えなかった。
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