>平等???ー死の行進
投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/09/30 05:15 投稿番号: [10921 / 60270]
>「バターン死の行進」の時も、日本軍の警備兵がいくら追っ払ってもフィリピン人は水や食料をアメリカ兵捕虜にやろうとした。日本軍が負けて捕虜収容所に入れられる時は、ののしりと投石ですよ。日本に連れて帰って欲しい、とフィリピン人が群れをなして押しかけて来たりはしなかった。それがベトナムではあった。TVで見たでしょう?
以前にも同じようなこと言うやつがいたな。山本七平のフアンとかだったな。私とけんかしたが。矛盾したことばかりいってたが。読みかじりの本のはなしだけだろうが。紹介する話もおなじだな。
パターンで日本軍がいかにアメリカ兵の保護に尽くしたなど知らないのだろう。うそっぱちの言い伝えをほんとにするえらくない人間。
それに、パターンで降伏したのはアメリカ兵だけだと思っているのではないのか。
コレヒドールを除いた、パターンで降伏した敵兵は75,000。
そのうち多くはフィリッピン人の兵隊だよ。
さらにだな、パターン要塞〈正確にいうと、マリベレス山要塞)の付近のジャングルには付近の原住民が逃げ込んでいた。ジャングルには食料は無い。彼らの多数も飢えており、餓死するものも多数出ていた。これら住民も敵兵といっしょにジャングルから出てきて、芋畑を見つけると、芋を掘って、そのままむさぼり食ったそうだ。
その原住民たちは日本兵や従軍記者に水をねだったのだよ。アメリカ兵にやる水などあるものか。
で、捕虜が60キロはなれたサンフェルナンドに着いたとき日本軍はどうしたか。68,000人を釈放してしまったのだよ。
途中で捕虜にドラム缶でつくったミルクがゆを食べさせたりしたことや、この釈放などをとらえて、むしろ「生への行進」という人もいる。あのまま戦っても敵はマラリアと飢餓で、もっと多くの犠牲者を出したはず。
日本軍も食料がつきかけていたし。その中から乏しい米を出してミルクがゆをつくったのだよ。本間司令官が捕虜の保護に全力を尽くせとの命令をだしたが。
ミルクがゆは日本の従軍記者の発案。この記者たちが戦後「大東戦争史・比島編」で従軍日記を書いている。
知らないことについては書くな。
これは メッセージ 10913 (jacobitejp さん)への返信です.
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