>よく言ってくれた
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/02/21 23:55 投稿番号: [96 / 6952]
>暇があれば、日本書紀でも読んでみたら?日本の話は殆ど出てこないよ.殆ど韓国の話ばかりや.
「殆ど」はムリがあるにしても、「頻繁に」出てきますね。
ところで、書紀をそれほど重視されますか?
>何もわしはね、日本に押し付けるつもりはない.単なる事実の勧めやで.
なるほど。よろしいのですね?
*神功皇后の三韓征伐後、新羅王は「今後日本に服属して、年々貢物をたてまつる事を約束し、そしてこの約束は東より出づる日、西より出ない限り、『アリナレ川』(鴨緑江?)の水、逆に流れない限り、また河の石が天に昇って星とならない限り、決して変わる事はありません」と誓約。新羅王は王子『微叱己知波珍干岐(ミシコチハトリカムキ。朝鮮の「三国史記」の未斯欣=ミシキンに相当)』を人質として日本に送る。
*神功皇后の時、「百済王が使いを遣わして貢物をたてまつった事、ことに新羅の害を除いてくださったことを感謝して、いつの日、いつの時にかこの大恩を忘れましょうやといって、『七枝刀』一振りと『七子鏡』一面とを献上した」
*聖徳太子薨去後、高句麗からの渡来僧恵慈(えじ)は、「太子がお隠れになった以上、我ひとり生きていても仕方ない。来年の御命日には自分も死ぬ事にする」と決心し、翌年殉死。
*皇極天皇四年六月、三韓(この場合百済、高句麗、新羅)より貢を献じ、天皇の御前にご披露。(大化の改新の舞台)
*日本と同盟の為人質として日本にいた百済王子豊璋(ほうしょう)に、鬼室福信は帰還を乞うた。これにより福信は滅亡した百済を復興しようとした(「既ニ滅ビタル国ヲ興ス」)。豊璋は帰国して王位に就き、衆をはげまして曰く、「今聞ク、大日本国ノ救将廬原君臣(いおはらのきみおみ)、健児万余ヲ率テ、正ニ海ヲ超エテ至ラム」と。(天智天皇紀二年八月条)
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なるほど、縁が深いですな。
これは メッセージ 90 (sadamraden さん)への返信です.
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