日韓歴史論争

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沙也可

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2003/10/02 13:26 投稿番号: [814 / 6952]
沙也加=沙也可・金忠善の存在はまぁ、否定はしませんが・・・
「3000人の兵を引き連れて投降」「清正配下の先鋒将」というのは、やはり「本人の大法螺」ではないかと。
と、いう事を言うと「また日本人が歴史捏造・歪曲を・・・」と言われるでしょうから、その根拠なりを。

1.兵3000人?
文禄の役では加藤家は第2陣として上陸。
2陣は加藤・鍋島・相良で約2万3千。加藤・鍋島両家で手勢は各々8〜9千程?(ご存知の方いらしたらご教授ください)
この8〜9千の「手勢」は加藤家の所領(約24万石)からすれば、通常動員兵力の上限近い数字ですが。
*「先鋒3000」は一見もっともらしい数字に思えますが、これは「不可能」です。
8,9千の軍勢のうち、戦闘要員は約6割。残り4割は後方兵站・輸送任務の「小荷駄」と呼ばれる非戦闘要員です。
実質戦闘要員5千前後で、先鋒は凡そ1千程でしょう。戦国後期の陣立てから換算すると。

2.「3000人を率いて投降」、も不可能かと。
仮に「3000人の部隊」があるとすると、その大半は武将の「手勢」(領地から集めた家臣たる土豪、郷士、農民兵等)ではなく、「寄騎(よりき)」された加藤家の家臣達及びその手勢です。
「寄騎(よりき)」とは軍事編成上「配属」されることですから、作戦行動上の命令には従わねばなりませんが、投降のような事柄には、従う必要はありません。武将もそのような強制権はありません。
封建制度における主君と臣下の関係は、一種の「相互契約」です。
「契約関係」にない、この場合先手衆頭(先鋒部隊武将)に対し寄騎された他の家臣がこの様な「投降命令」というより「主家に対する離反=契約破棄」に従う事は有り得ません。(彼らにも国許に家族・一族がいるでしょうから)
因みに、加藤家24万石として重臣クラスで知行2,3千石。動員兵力は2,3百人(最大)です。
「年齢22歳」もどうかと。この年で「先手大将・配下3000人」というのは、嫡子でもない限り有り得ない「厚遇」ですが・・・
「岡本越後守」がその当人である、というのなら、越後守は「陪臣(家臣の家臣)」です。身分的に言って精々「組頭」(下級将校)クラスでしかありえません。
実数50名前後の配下を持つ「小隊長」です。
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