日韓歴史論争

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古い話3

投稿者: chosun_is_only1 投稿日時: 2003/09/21 01:00 投稿番号: [772 / 6952]
11月の17日午後2時、再度の会議が日本領事館で始められたが、同じようになんらの結果も出ずじまいであった。そこで林氏は、大臣に向かって、王宮に帰って、皇帝の御前で閣議を開くよう助言した。御前会議は開かれた。そして日本人がそれに参加したのである。
  その間、日本軍は、王宮のまわりで武力の一大示威を行っていた。この地区の全日本軍部隊が、この数日間、皇居前の街路や空き地で行進を行ったのである。野砲まで引き出され、兵士は完全武装していた。
  彼らは前進し、背進し、攻撃演習を行って、城門を占拠し、大砲を配置して、実際の暴行こそなけれ、ありとあらゆることを行った。そして、日本は自分たちの要求を強行することができるということを、韓国人に示威しようとしたのである。
  閣僚や皇帝にとってこういう示威のすべてが、不吉な恐ろしい意味を持った。1895年のあの夜、日本軍兵士が別の王宮(乙未政変の時の王宮景福宮を指す・・・)のまわりを示威行進し、注意深く選び出された日本人壮士たちが宮殿内に侵入し、そして王妃を殺害したが、その時のことを、大臣や皇帝は決して忘れることはできなかったのである。
  日本は、以前にそういうことをした。日本がふたたびそういうことをしないとどうして考えられようか。大日本の意志に対して今げんに抗らっている者誰一人として、その眼前に剣を突きつけられたわけではないが、しかも彼らは、想像の中で、終日、数百回にわたって、日本軍の雨あられのような弾丸の音を聞いたのである。
  その日の夕刻、日本軍兵士は、剣つき鉄砲を持って王宮の中庭に入り込み、皇帝のおられる宮殿の近くに立った。伊藤公が、駐箚朝鮮軍司令官長谷川将軍(1850−1924)を帯同して王宮に来、内閣閣僚たちに対する新しい攻め落としをかけ始めた。
  公は皇帝の出席を要請した。皇帝は、のどをいためて痛みが激しいと仰せられて、それを許可にならなかった。そこで公は、皇帝のおられる所にまで直接伺候して、個人的にご出席を要請した。皇帝はやはり拒絶された。「どうかお帰り下さい。その案件については閣僚と討議してください」と仰せられたのである。
  そこでただちに、伊藤公は、閣僚のいる所に出て行き、「あなた方の皇帝は、あなた方に、私と協議してこの案件を解決するよう命じられた」と宣言した。
  新たな会議が開かれた。日本軍兵士の充満、外部での銃剣のきらめき、宮殿の窓を通して聞こえてくる荒々しい号令の声、それらは決して無効ではなかった。閣僚たちは数日にわたって、しかも孤立無援のなかで、戦ってきた。
  外国政府代表の誰一人として、彼らに援助と相談をもちかけた者とてなかった。閣僚たちは、自分たちの前途に降伏と破滅とをみた。「われわれの抵抗は無益ではないか?」と一人が言った。「日本政府はいつも最後には自分たちのやり方をとる」。
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