Re: 尖閣列島,釣魚島は韓国の領土で百済島
投稿者: kundaikun 投稿日時: 2010/10/03 17:02 投稿番号: [6281 / 6952]
>>また、その後の成立した第一尚氏、第二尚氏はいずれも日本から
琉球に渡った氏族であろうと思われています。
つまり琉球の実際的な王権の支配層は日本人になります。>>?
←いいえ
尚氏は日本に亡命した百済人,または高句麗人かも知れないが
確かに檀君朝鮮人の高句麗,または百済人の韓国人血統だった。
すなわち, 沖繩の琉球王国 自制が高麗の領土だったという決定的な証拠だった。
尖閣列島は韓国の領土だったという証拠だ 。。返還しなさい!
尚氏の出身は文献によれば 木川 外にも 果川,林川など 8個の出身があると言うが今日伝わることは 木川だけです。
木川 尚氏の始祖である尚国珍は 木川 (今の忠南天安郡木川面)に居住した百済流民 尚氏の子孫で 長吏の官職を勤めたと言うのに, 彼の 先系に対しては知られなかったです 。1976年刊行された 丙辰譜の序文を見れば, 高句麗の 西川王 の時の 国相だった 尚陰友の息子 尚婁が 烽上王 の時 国相を引き受けたし, 新羅 興徳王の臣下で ,尚莞があったと言うなど, 三国時代の何名の 尚氏 人物が言及されていて, これを裏付けるに値する証拠です。
高麗を建国する時, 後百済 流民たちが 木川の象王山に雄拠して百済再建のために何回にかけて反旗をあげると頭に来た高麗の太祖 王建は反乱をはかった一族に家畜の名前である 牛,象,豚などの下級の 苗字を下げました。
この時 木川 尚氏も 象で 苗字が変わったんです。 その後,高麗の文宗の時の 尚国珍の息子 尚得儒が
崔沖が立てた 九斎の 待聘 斎学士になって 郷役を兔れながら本来の 尚氏に還元されました。 その後 15世孫に至って 子産の子孫は 扶余派で, 子華の子孫は 原州派で, 子賎の子孫は
豊徳派にそれぞれ分派されました。
-<百科事典>
沖繩の琉球の尚氏は檀君朝鮮人の高句麗,百済人の韓国人血統だった。。くすくす
これは メッセージ 6274 (satoruba03 さん)への返信です.
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