日韓歴史論争

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Re: 日本史に隠された朝鮮の息吹(笑)

投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2010/09/24 21:18 投稿番号: [6269 / 6952]
>チョン・ヨンホ教授は、「法隆寺は三国時代の文化の総合版と言っても過言ではない。この寺を見るだけで、建造物や仏像、絵画などの文化面で、日本が韓半島の直接的な影響下にあったことが分かる」と指摘した上で


同時期のトンスル半島の建造物や仏像、絵画がなにも残っていないのに何故こんな妄想が出来るのか不思議だ。
トンスラーの主張では中国から伝わった仏教文化を百済なりに消化し百済風の仏教文化があったらしい。
しかし法隆寺は桁のない不思議な構造合理的な軸組構造をとってない。
少なくとも百済から建築技術を伝えたとされる金剛組は法隆寺の基本設計に関わっていない、ただの叩き大工であった。
ただの叩き大工ならば来ても来なくも同じ事。



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要するに、法隆寺金堂は、外観や空間構成に関しては寺院としての態を成し、高度に洗練されてさえいるのだが、内陣側の組物の処理・天井の構法・頭貫の切継ぎ・そして梁皆無の構造法などに関しては、そのすぐ後の時代の建築物に比べて全くでたらめで、1000年以上の歴史を経て大成されていた当時の中国の建築技法に対して、十分に習熟した者が設計した建築とは到底思えないのである。

そうすると考えられることは、玉虫厨子のような何らかの建築的模型を手本にして、大陸建築の構造上の意味を充分に把握しない人間が作ったという可能性だ。   法隆寺金堂内部の組物は極めて単純なので、その方面の専門の技術者でなくとも、素人の留学生の見覚えて帰ってきた知識や、簡単な絵からでも、実現できる可能性は十分にある。   (と、昭和の法隆寺解体修理に参加した竹島卓一という研究者は言っている。)   日本の大工が西洋建築を見よう見まねで造った「擬洋風建築」が現れた明治期と似たようなことが行われていたのかも知れない。

ではどうしてこんな建築が今まで保ってきたのかというと、極めて贅沢な材料を使っているから、ということらしい。   元々、大陸や半島に比べて日本は木材資源に恵まれているのだが、特に法隆寺に使われている部材は、大陸はもちろん、日本でも後代の同規模の建物に例を見ないほどに太い。   長くて太くて強い材料をふんだんに使って造れば、そして補修を怠らなければ、多少構造上不合理でも、1300年保ってしまうのである。   (とは言え、400年前の大改修時にせよ、昭和の解体修理時にせよ、相当ヤバイ状態だったらしいが。)
どうして異常なまでに太い柱が使われたのだろうか?   掘立柱による従来の構法に慣れた日本人が、柱を礎石の上に置くだけの大陸の構法に不安を感じたのかも知れないし、或いは現実に礎石柱の手法で建てた建築が、地震や台風によって倒壊した経験があったのかも知れない。そうでなくても、地震や台風によって家屋が倒壊することは経験から知っていた筈である。   それらのことが、途方も無く太い柱を使うことを思いつかせたことは比較的考えやすい。   後代においては、この大陸の建築技法に対する不安が、やがて礎石の中心に凸を作り出して柱の滑りを防ぐことを思いつかせ、木材の組み方にも工夫が加えられてゆき、日本独自の構法を発展させてゆく。

してみると、果たして、"古代韓国"から、本当に技術者がやって来たのだろうか?   まあ、「そもそも古代韓国の建築がでたらめだった」という可能性もあるかも知れないが、その場合、来ても来なくても大した違いはなさそうである。
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