熊襲の末裔を自称する私としては。
投稿者: toseinin_isaq 投稿日時: 2010/08/21 13:50 投稿番号: [6137 / 6952]
隣の鹿児島県人とは似ているようで違うような面があります。
どこかで少しずつ違う民族が九州にやってきたんでしょうね。
私個人的には、熊本人の剛毅さと頑固さは楚人、鹿児島人の剽悍さは呉越人というところでしょうか。中国の大河ドラマ「越王勾践」のDVDを取り寄せたところ。呉王夫差が率いた一団に、日本の忍者みたいな動きと働きをする一団が登場していました。呉は、春秋時代には名刀の産地としても全土に知られていました。
卑弥呼という女性については、論証しようのない推論に頼る面が多く何とも断言できません。ただ、国人(国士)たちによって女王に立てられて支障なくその座に収まり、国家祭祀を執行したということは、支配層につながる人だったことは事実です。
というのも、氏族世襲による武力支配時代の祭祀は、王とその一族の女性、豪族の場合は首長とその一族の女性がとり仕切っていました。つまり、市井の庶民が祭祀儀礼を習得できる環境ではなかったわけです。ということから類推すると、卑弥呼(臺與の場合は卑弥呼の一族の女性)も支配層の女性として、祭祀の作法を習得していたものと考えられるからです。
琉球。
徳之島の知人から聞いた範囲では、「島で祀る神はどこからかやってきた」のだということでした。その彼は薩摩からきたと考えていたようです。そこで私が、(ニライカナイといいましたか)その祭りはどっちを向いてやるかと質問したところ、「西の海を向いてやる」という返事でした。意外な思いがしたものです。
自然崇拝、精霊信仰。
自然のあらわるものに神や精霊が宿るとするアミニズムは、人間が弓と矢を同時多発的に考案したのと同じで、人類共通の現象でしょう。神とはいわず「神々」というのは、個人的には好きですね。
これは メッセージ 6134 (satoruba03 さん)への返信です.
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