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高句麗滅亡から読む北朝鮮

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2010/01/29 23:49 投稿番号: [5483 / 6952]
ageのために投稿
【緯度経度】ソウル・黒田勝弘   高句麗滅亡から読む北朝鮮

古代、朝鮮半島には高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)に分かれた3国時代があった。高句麗は朝鮮半島の北部に位置し、百済は南西部、新羅は南東部を占めていた。しかし最後は新羅が唐の支援を受けて百済、高句麗を滅ぼし、初の統一国家になった(西暦676年)。

  3国のうち高句麗の領域は、中朝国境地帯から中国大陸にまで広がっていた。大国の隋や唐との戦いでもしばしば勝利するなど、東アジアの軍事強国だった。

  高句麗については、朝鮮半島の北部に存在したことから、現在の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が以前から自らの国家的ルーツに見立ててきた。そこには“東アジアの強国”への民族的郷愁も当然ある。

  歴史学者の間では「高句麗の政治体制は軍事色の強い中央集権体制だった」というのが定説だから、超軍事独裁体制の現在の北朝鮮とイメージが重なる。

  ところで700年も続いた強国・高句麗がなぜ滅んだのか、その原因が興味深い。

  唐の軍事的圧力を強く受けていた末期、王の首を勝手にすげ替えるなど、臨戦態勢で独裁的権力をふるっていた泉蓋蘇文(せんがいそぶん)が病死した(666年)。3人の息子のうち長男の男生がすぐ後を継いだが、弟の男建、男産らと権力闘争となり、後継者の男生が追放されその子も殺害された。こうした兄弟による内紛が新羅や唐のつけ入るところとなり、高句麗は2年後に滅んでしまった。

  北朝鮮は今、3代目の世襲後継体制に動いている。昔、北で権力中枢にいた亡命者の黄長●元朝鮮労働党書記は、権力世襲の北朝鮮を「封建王朝」−つまり金王朝だといっている。

  この“王朝”はまだ65年だが、金日成、金正日に続く3代目の「金ジョンウン」は長男ではなく異母兄弟の三男だという。父・金正日総書記が健在なうちは誰も文句をいえないから、とりあえずみんな納得しついてくるだろう。
しかし死後は分からない。三男でもうまくやればいいが、うまくいかないともめる。血縁世襲の伝統では三男起用は普通ではない。問題が起きると、批判・不満勢力は別の息子を担ごうとするかもしれない。

  金正日総書記自身、後継体制を固めるに際しては兄弟を徹底的に警戒し、排除してきた。たとえば異母弟の金平日・駐ポーランド大使は外国勤務が長く、実質的には“海外追放”に等しい。

  王朝の始祖である故金日成主席の2番目の正夫人、金聖愛・中央委員(元女性同盟委員長)も、金平日の生母であるという理由で完全に権力から排除され“隠遁(いんとん)”を余儀なくされている。この厳しい血縁コントロールは、自らの権力に挑戦する危険性のある存在を徹底的に封じ込めておくためだ。

  金総書記も高句麗の最高実力者、泉蓋蘇文と同じく息子は3人だ。韓国では2006〜7年、彼を主人公にした連続テレビ歴史ドラマが放映されたが、当時、北朝鮮からの亡命者がこのドラマを見て「金正日とそっくり」と言ったという話を聞いたことがある。

  金総書記は世襲権力をめぐる“王子”たちによる内紛予防のため、どんな手を打つのだろう。日本の戦国武将・毛利元就の故事にならい、三男に長男・正男、次男・正哲を加えた息子3人を集めて“3本の矢”を握らせ、「1本ではすぐ折れるぞ」と団結・協力を誓わせたのだろうか。

  3代目の後継者はまだ28歳という。いかにも若い。来月、68歳になる父だが安心できるはずはない。何とか長生きし、後継体制が揺らがないよう固めておきたい。

  高句麗の故事にならえば、その際、中国の存在と影響は決定的だろう。そして高句麗は最後は新羅(韓国?)によって統一されている。歴史は実に興味深い。高句麗史をひもとき想像をたくましくしてみた。

●=火へんに華
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