Re: れRe: ウリは元朝の「漢人」ニダ♪
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2008/03/28 10:39 投稿番号: [4478 / 6952]
>「沙也可」とその兵約3000人がいました(他にもいたらしいが)。その沙也可の領地となった土地が、大邱の南西部にあります。(詳細は東亜トンムに)
友鹿里ですね。
しかし、ご存知の方も多いでしょうけど、この沙也可ってのは、名前は有名だがさっぱり来歴が分からない「大物武将」なんですよねぇ。
>沙也可一族の子孫て、併合中、どういう意識だったんでしょうかねぇ(無論、豊臣時代は日本人だったことを知っている)。
実は最近ある研究者に話を聞く機会があり、沙也可の話題になったのですが、併合期は世間から注目されておらず、本人達も宣伝はしていなかったようです。
だって、沙也可が書いたとされる『慕夏堂文集』を信用すれば、彼は日本を裏切って朝鮮に投じた人物となり、信用しないなら、ただのホラ吹き野郎になってしまうからです。
まぁ、実在自体もあやふやなんですよねぇ。根拠史料が『慕夏堂文集』だけですし、『宣祖実録』『備辺司謄録』などの史料と照合しても妥当性を担保できない。しかも『慕夏堂文集』自体が明治時代に世に出たとき偽作と認定され、後にそれを否定するという反復運動が繰り返されているシロモノですし…
沙也可が注目されるようになったのは戦後からっぽいですよ。朝鮮半島に対する贖罪意識などの情緒が背景にあり、史料研究ではなく言説の主張をこととする北島万次のような史学者がかなり影響を及ぼしているようです。
…以下ひとり言。
沙也可についてまともな研究書が出ればいいんですがねぇ…普通に史料を読んで照合して妥当性の高い解釈を導き出し、先行者の研究を批判的に読んで言うべきを言う…こういうまっとうな本が出ないかな…1年ほど待ってみるかナァ。
これは メッセージ 4476 (red_mangou さん)への返信です.
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