江華島事件の真実
投稿者: aristoteresss 投稿日時: 2008/03/22 19:27 投稿番号: [4465 / 6952]
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi014.html
明治3年(1870)から公館に出仕していた森山茂理事官は、
長年の朝鮮人外交官僚との紆余曲折の交渉を経て、
どうやら朝鮮「人」そのものへの不信とまでなったようである。
曰く「韓奴之習弊 沈深狡獰ヲ以テ 大器量ノモノト イタシ居候(明治7年(1874)8月21日の項)」と
朝鮮人を「韓奴」という侮蔑語すら使って、朝鮮では狡猾であることを器量人としている、と断じている。
さらには、もはや交渉の感想を「侮蔑 愚弄 亦甚シキヲ 論スレトモ 到底 曖昧 明答ヲ得ス(明治8年(1875)5月15日の項)」と言うに至っては、これはもう嘆きであろう。
>>狡猾である事が、器量人、だそうです。
韓奴。
日本の古書にも、初期から、朝鮮人蔑視が書いて有るそうですが、千年以上に渡って変わらないんだなぁー。
朝鮮側の日本軍艦への認識とは
ところで、雲揚・丁卯(ていぼう)の2艦をもって朝鮮国への武力威嚇と言えようか。
朝鮮側は抗議すらしていない。
もっとも訓導は「我が国においても、何ぞ1、2隻の軍艦を恐れるものではない・・」と言っているが、「歓迎」の式で肝を冷やしたことは間違いないだろう。
しかし朝鮮軍は何も動いていない。6月1日に雲揚が演習で50発ほど大小の大砲を撃ったときも、5月31日に前もってそのことを知らせてあったためか、騒ぐ者もいない。
これでは武力威嚇とは言えまい。もちろん森山たちを元気付けることにはなったろうが。
>>>だそうです、はぁーあ、しかし、日本側が脅かしに使おうと思った事は事実のようです。
雲揚艦帰来。艦長井上少佐の話に、
咸鏡道永興に泊すること凡そ三日。稍湾中を測量せり。
此地は北面の良港にして、大河、湾に注ぐもの六条あり。一日端舩(ボート)を以て之に泝ること三里。測るに猶小汽船を容るに足る。
両岸、萩、蘆(あし)、弥望、平地多し。湾中に一小島あり。製塩場を設くること数所。蜑(あま)戸処々に散布して、土人頗る質朴。利を以て誘すれば太だ馴れ易きに似たり。
或日、一民家の火災に罹るを見る。
戸主狼狽奔走すれども、傍人恬然、観望して救うの意なし。
故に、我艦より兵士を遣し、消防器を送り之を救い、災主に韓銭五百孔を給す。夫妻合掌して泣謝す。
>>>はぁ、はぁ、はぁ、日本人って、善い人ねぇー、これは他にも史実として証明されている、優しいの。
「服を剥がせて棍棒で打った」というのは左の写真のようなものであろうか。
朝鮮の懲罰刑などは中国とほとんど同じ形式であるが、これでは命にも関わる酷さであろう。
同行の中尉らが止めるように再三言ったのも頷ける。
しかしまるでドラマのハイライトを見るかのような話であるが、れっきとした公文書中の記録である。
>>どうも、朝鮮には、この公文書と言うのが、無いか、少ない様なんですよね。
だから、朝鮮は、何もいえない、故に、捏造するしかないわけで。
何ともねぇー、とほほ、です。
「港には日本の軍艦がいたが、訓導にとっては 「案ずるにもあらず」だったようである。
これでは「武力による開国要求」どころか「圧力」にすらなっていない。
朝鮮の破約と事実上の絶交
しばらくして訓導が、実は都からの私信に、朝廷が別使を公館に派遣されるとあった、と言い出した。
この男はいつも大切なことを後からしか言わない。
だから、聞く方には言い訳か嘘ぐらいにしか聞こえない。
これは自尊心の強い朝鮮文化の欠点である。
森山たち日本側は、何をいまさらと、信じようとしなかった。
>>>まぁ、これで、交渉は終わったのかな。
朝鮮側にも、色々な事情が有るんだろうけど、結局。
体力の差は、遺憾ともしがたく。
中国のペットから、日本のペットへと、移行していくことになるんでしょう。
明治3年(1870)から公館に出仕していた森山茂理事官は、
長年の朝鮮人外交官僚との紆余曲折の交渉を経て、
どうやら朝鮮「人」そのものへの不信とまでなったようである。
曰く「韓奴之習弊 沈深狡獰ヲ以テ 大器量ノモノト イタシ居候(明治7年(1874)8月21日の項)」と
朝鮮人を「韓奴」という侮蔑語すら使って、朝鮮では狡猾であることを器量人としている、と断じている。
さらには、もはや交渉の感想を「侮蔑 愚弄 亦甚シキヲ 論スレトモ 到底 曖昧 明答ヲ得ス(明治8年(1875)5月15日の項)」と言うに至っては、これはもう嘆きであろう。
>>狡猾である事が、器量人、だそうです。
韓奴。
日本の古書にも、初期から、朝鮮人蔑視が書いて有るそうですが、千年以上に渡って変わらないんだなぁー。
朝鮮側の日本軍艦への認識とは
ところで、雲揚・丁卯(ていぼう)の2艦をもって朝鮮国への武力威嚇と言えようか。
朝鮮側は抗議すらしていない。
もっとも訓導は「我が国においても、何ぞ1、2隻の軍艦を恐れるものではない・・」と言っているが、「歓迎」の式で肝を冷やしたことは間違いないだろう。
しかし朝鮮軍は何も動いていない。6月1日に雲揚が演習で50発ほど大小の大砲を撃ったときも、5月31日に前もってそのことを知らせてあったためか、騒ぐ者もいない。
これでは武力威嚇とは言えまい。もちろん森山たちを元気付けることにはなったろうが。
>>>だそうです、はぁーあ、しかし、日本側が脅かしに使おうと思った事は事実のようです。
雲揚艦帰来。艦長井上少佐の話に、
咸鏡道永興に泊すること凡そ三日。稍湾中を測量せり。
此地は北面の良港にして、大河、湾に注ぐもの六条あり。一日端舩(ボート)を以て之に泝ること三里。測るに猶小汽船を容るに足る。
両岸、萩、蘆(あし)、弥望、平地多し。湾中に一小島あり。製塩場を設くること数所。蜑(あま)戸処々に散布して、土人頗る質朴。利を以て誘すれば太だ馴れ易きに似たり。
或日、一民家の火災に罹るを見る。
戸主狼狽奔走すれども、傍人恬然、観望して救うの意なし。
故に、我艦より兵士を遣し、消防器を送り之を救い、災主に韓銭五百孔を給す。夫妻合掌して泣謝す。
>>>はぁ、はぁ、はぁ、日本人って、善い人ねぇー、これは他にも史実として証明されている、優しいの。
「服を剥がせて棍棒で打った」というのは左の写真のようなものであろうか。
朝鮮の懲罰刑などは中国とほとんど同じ形式であるが、これでは命にも関わる酷さであろう。
同行の中尉らが止めるように再三言ったのも頷ける。
しかしまるでドラマのハイライトを見るかのような話であるが、れっきとした公文書中の記録である。
>>どうも、朝鮮には、この公文書と言うのが、無いか、少ない様なんですよね。
だから、朝鮮は、何もいえない、故に、捏造するしかないわけで。
何ともねぇー、とほほ、です。
「港には日本の軍艦がいたが、訓導にとっては 「案ずるにもあらず」だったようである。
これでは「武力による開国要求」どころか「圧力」にすらなっていない。
朝鮮の破約と事実上の絶交
しばらくして訓導が、実は都からの私信に、朝廷が別使を公館に派遣されるとあった、と言い出した。
この男はいつも大切なことを後からしか言わない。
だから、聞く方には言い訳か嘘ぐらいにしか聞こえない。
これは自尊心の強い朝鮮文化の欠点である。
森山たち日本側は、何をいまさらと、信じようとしなかった。
>>>まぁ、これで、交渉は終わったのかな。
朝鮮側にも、色々な事情が有るんだろうけど、結局。
体力の差は、遺憾ともしがたく。
中国のペットから、日本のペットへと、移行していくことになるんでしょう。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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