日韓歴史論争

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昔には韓国が日本に与えてばかりしたと?

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/12/17 05:42 投稿番号: [4301 / 6952]
ザパチョンはこういう都合の悪い記事は貼らないのな。
こういう記事を貼って、根拠を出して間違えを指摘できれば凄いと認めてやるが、貼るしか脳のないアホには無理か。

この教授が社会的に抹殺されないことを祈ります。

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昔には韓国が日本に与えてばかりしたと?

日本との交流の歴史を話せば韓国人たちはたいてい「ご先祖は日本の恩人」という自負心がわく。「百済・新羅などが未開な日本に水準の高い文化と技術、制度を一方的に伝えた」と言うことが当たり前の事実として受け入れられている。これはすなわち日本が「恩を仇で返す」という論理でたびたび語られる。日本より優れていた、という民族主義史観のもと、多くの歴史書、甚だしくは教科書も一方的な文化伝播論を教えて来た。古代日本は一方的な受恵者だったのだろうか。侵略者だったのだろうか。紀元直後から新羅が三国を統一する7世紀中頃まで、日本列島と韓半島(朝鮮半島)の間に起こった交流の実像はどうだろう。

1990年代、大阪大学で学びながら韓日古代交流史の遺跡を一人で研究して来た朴天秀(パク・チョンス)慶北大教授は最近の著書『新しく書く古代韓日交渉史』(社会評論)を通じて避けることができない‘ファクト’(事実)を想起させる。日本の地に散らばった先祖たちの遺跡に劣らずこの地に倭人たちが残した遺跡・遺物も多く散らばっているということを。

80年代から3〜6世紀、典型的な日本の貴族・王の墓であるチャンゴ(鼓)様古墳、いわゆる「前方後円墳」が全南栄山江(ヨンサンガン)流域のコフン・光栄・光州等の土地で13基も発見された。慶南海岸一帯でも倭式墓、銅鉾・鉄矛などの古代日本産武器、よろい、日本式弥生土器などが多く出土される。単純な貿易ではなく、定着して代々永住し、大きな墓で地方権力を誇示した兆候などが続々と現われた。国内学界はそっぽを向いたり、我田引水式で解釈して来た。ソウル江東地域で百済王朝が築いた最大規模の前方後円墳が発見され、これが日本の前方後円墳の原型だと報道した2005年、韓国放送の誤報波紋はこのうような考え方がもたらしたハプニングとして記憶される。

著者は関連リストだけ100ページに近い韓-日考古発掘資料を持って力をこめて言う。「古代韓日交流史に、近世や現代の葛藤関係を投映させてはいけない。実際、全くそうではなかった。発掘遺物が投げる声に聞き入って迷妄から脱しなければならない」<新しく書く古代韓日交渉史>は20年以上、韓日発掘現場を歩き回った専門家の視点から韓日交流史を初めて考古学的に再構成した。彼が見るに、鉄器時代であるB.C.300〜400年頃から新羅の三国統一期の7世紀まで(日本の時代区分では弥生時代から飛鳥時代まで)韓半島と日本の考古学は境界がない。墓、住居などの遺跡と装身具、道具、武器類などは形式や外形がほとんど同じだ。

したがって近代民族主義の影を除き、考古遺物を土台にして韓日交流史を整理すれば、興味深いが当惑する何種類かの仮説が現われる。まず5〜6世紀、全羅道一帯の南道地域は日本の九州の倭人貴族たちが治めたと考えられる。百済は統治権が弱かった南道地域を治めるために、彼らを官僚として連れて来て使ったというのだ。光州都心の前方後円墳が、彼らが享受した権勢を証明する。

以下略

empas/ハンギョレ新聞(韓国語)
ttp://news.empas.com/show.tsp/cp_hw/20071213n23782
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