司馬遼太郎は反省汁!
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2007/12/10 16:15 投稿番号: [4285 / 6952]
まあいつもの朝鮮なんだけど、そこが面白いので。
>司馬が「坂の上の雲」で、日露戦争を自衛戦争あるいは祖国防衛戦争と表現して、正当化したことは広く知られている。しかしながら、日露戦争が日清戦争とともに朝鮮への侵略戦争であることもまた自明のことであってみれば、司馬は日清・日露戦争を賛美し、日本の帝国主義的成長を称えたと非難されても、なんの反論もできないであろう。自衛と言おうと祖国防衛と書こうと戦争に違いはなく、良い戦争と悪い戦争があるという道理もない。
じゃあアンタらの朝鮮戦争も、実際がどうあろうと「戦争は戦争」って事で十羽一からげでOKなんだな?
>日帝がいかに暴虐であろうとも−げんにそうだが−しかし長い朝鮮史のなかでその期間はたかが30余年であるにすぎない。李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力のほうがはるかに深刻なようにおもうのだが、しかし私の知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか私はめぐりあっていない。
↑ここに、この記者のビミョーな心の揺れが見えるなあ。
反日はもちろん宗教だから、何が何でもニテーイが悪くなければいけないんだけれども、朝鮮がダメなのは、実は自分ら自身のせいではないかという疑いの心を持ち続けて苦悩しているんだろうな。(同情なんかせんが。)
しかし、司馬氏が朝鮮を良く書こうと、あるいは良く書かなくても、どちらも司馬氏の正直な心情だがなあ。だから、「それはそれ、これはこれ」って事なんだが、やっぱ朝鮮人だから、そういう考え方自体が出来んのだろうな。
水戸黄門が実は悪人で、悪代官が実は善人だったなんて設定は、決してあってはいけない事なのだから。
>この文に象徴される朝鮮への蔑視が、司馬の思想の根源にあって、それが「坂の上の雲」では、日清・日露戦争を美化した、新興国日本の美しい物語となり、朝鮮侵略を隠ぺいしたと思われる。だから、「故郷忘じがたく候」において、陶工の末裔である沈寿官が韓国の講演で、「36年を言うな」と学生たちに語ったと、さも意味ありげに書いたのも理由のないことではない。
だったら、そんなのは司馬氏じゃなくて発言者である沈氏に言えよ!!!
>朝鮮を併合という形で奪ってしまうという、愚劣なことが日露戦争ののちに起こるのである―と、司馬遼太郎は、日清・日露戦争を美化した同じ筆で、きれいに口をぬぐったように書く。朝鮮半島の友人の前で気が引けるのだ、と。しかも、そうでありながら同じ文のあとの所では、朝鮮を植民地としたことが、「けっして儲かるものではないと思うのです」とさえ書いているのである(「『昭和』という国家」)。
なんで目くじら立てるんだ?
司馬氏は、道義的にもイカンし、損得勘定でもダメだった、と言いたかっただけじゃないか。
そんな事だから、南北共にマトモな国家運営が出来んのじゃないか。
つうか、北鮮の分際でまあ、よく言うワイ。
>「坂の上の雲」の面白さを否定するわけではないが、司馬であれ、誰であれ、どの作品でも他民族の命運にかかわることは、かかわられた側がどう受容したのか、という視点があってもよいと思う。(備仲臣道、批評社、1800円+税)
それ、鏡に向かって言ってみろよ。
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1210-00005.htm
>司馬が「坂の上の雲」で、日露戦争を自衛戦争あるいは祖国防衛戦争と表現して、正当化したことは広く知られている。しかしながら、日露戦争が日清戦争とともに朝鮮への侵略戦争であることもまた自明のことであってみれば、司馬は日清・日露戦争を賛美し、日本の帝国主義的成長を称えたと非難されても、なんの反論もできないであろう。自衛と言おうと祖国防衛と書こうと戦争に違いはなく、良い戦争と悪い戦争があるという道理もない。
じゃあアンタらの朝鮮戦争も、実際がどうあろうと「戦争は戦争」って事で十羽一からげでOKなんだな?
>日帝がいかに暴虐であろうとも−げんにそうだが−しかし長い朝鮮史のなかでその期間はたかが30余年であるにすぎない。李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力のほうがはるかに深刻なようにおもうのだが、しかし私の知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか私はめぐりあっていない。
↑ここに、この記者のビミョーな心の揺れが見えるなあ。
反日はもちろん宗教だから、何が何でもニテーイが悪くなければいけないんだけれども、朝鮮がダメなのは、実は自分ら自身のせいではないかという疑いの心を持ち続けて苦悩しているんだろうな。(同情なんかせんが。)
しかし、司馬氏が朝鮮を良く書こうと、あるいは良く書かなくても、どちらも司馬氏の正直な心情だがなあ。だから、「それはそれ、これはこれ」って事なんだが、やっぱ朝鮮人だから、そういう考え方自体が出来んのだろうな。
水戸黄門が実は悪人で、悪代官が実は善人だったなんて設定は、決してあってはいけない事なのだから。
>この文に象徴される朝鮮への蔑視が、司馬の思想の根源にあって、それが「坂の上の雲」では、日清・日露戦争を美化した、新興国日本の美しい物語となり、朝鮮侵略を隠ぺいしたと思われる。だから、「故郷忘じがたく候」において、陶工の末裔である沈寿官が韓国の講演で、「36年を言うな」と学生たちに語ったと、さも意味ありげに書いたのも理由のないことではない。
だったら、そんなのは司馬氏じゃなくて発言者である沈氏に言えよ!!!
>朝鮮を併合という形で奪ってしまうという、愚劣なことが日露戦争ののちに起こるのである―と、司馬遼太郎は、日清・日露戦争を美化した同じ筆で、きれいに口をぬぐったように書く。朝鮮半島の友人の前で気が引けるのだ、と。しかも、そうでありながら同じ文のあとの所では、朝鮮を植民地としたことが、「けっして儲かるものではないと思うのです」とさえ書いているのである(「『昭和』という国家」)。
なんで目くじら立てるんだ?
司馬氏は、道義的にもイカンし、損得勘定でもダメだった、と言いたかっただけじゃないか。
そんな事だから、南北共にマトモな国家運営が出来んのじゃないか。
つうか、北鮮の分際でまあ、よく言うワイ。
>「坂の上の雲」の面白さを否定するわけではないが、司馬であれ、誰であれ、どの作品でも他民族の命運にかかわることは、かかわられた側がどう受容したのか、という視点があってもよいと思う。(備仲臣道、批評社、1800円+税)
それ、鏡に向かって言ってみろよ。
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1210-00005.htm
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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