世界文化遺産「石窟庵」
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/09/23 23:39 投稿番号: [4080 / 6952]
日帝が1910年代に解体・復元したものが正しくて、60年代に朝鮮人が復元したものがめちゃめちゃだったってことか?
しかも「日帝が石窟庵の原型もすべて壊してしまった」と主張までして。
ったく、日本の好意が無能な朝鮮人の言い訳にしか使われなかった何万件目の例だ?
オメーらが直せないから、わざわざ修復したんだろ、日本は。
戦艦三笠の件といい、歴史遺産の重要性を全く理解してないんだな、あきれるぜ。
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世界文化遺産「石窟庵」、60年代の復元工事に誤り
1960年代の石窟庵復元が間違っていたことを証明する写真が発見された。現在、石窟庵の入口左右にある八部神衆(仏法を守る8人の神)は全て一列に並んでいるが、本来は入口直近の1体が90度曲がっていたことが石窟庵補修工事(1913‐15年)直前に撮影された写真によって明らかになった。
成均館大博物館が17日に公開したこの写真は、石窟庵の本尊仏に向かって右側にある金剛力士像と八部神衆を撮影しているが、八部神衆は現在とは異なり3体が一列に並び、残る1体は90度の角度で曲がっている。この八部神衆像の影がすぐ前の八部神衆象に差している写真からも、このことが分かる。
ひどい破損のため崩壊が憂慮された石窟庵を日帝が1910年代に解体・復元した際、左右の入口にある八部神衆像1対については、他の八部神衆に対して90度角度を付けて配置した。しかし、文化財管理局が1961年から64年にかけて石窟庵を再度復元した際には、この八部神衆を他の八部神衆と同じく一列に並べた。当時の復元関係者は、「日帝が石窟庵の原型もすべて壊してしまった」と主張し、以後40年余りの間、論争が絶えなかった。
姜友邦(カン・ウバン)一郷韓国美術史研究院長(前国立慶州博物館長)は、「2001年に、書誌学者の故・李鐘学(イ・ジョンハク)氏が『朝鮮美術大観』(1910年刊行)に掲載された石窟庵本尊仏左手側の八部神衆の写真を公開したことがあったが、写真の状態が悪かったために、当時は入口にある八部神衆に90度角度がついていたと100%断定することができなかった。今回の写真は、石窟庵の原型を探る決定的な資料となる」と語った。また兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長も「八部神衆の位置が間違っていたことが今回明らかになった。しかし、今即座に石窟庵に手を加えることはできず、そのうち補修時を見計らって手直ししなければならない」とした。
この写真は、1910年代、慶州で東洋軒という写真館を運営していた日本人タナカ氏が撮影したものだと言われている。日帝強占期に京城帝国大学教授だった藤田亮策氏が所蔵していたが、53年に成均館大が購入し、所蔵してきた。
石窟庵の八部神衆の構造は明らかになったものの、石窟庵は依然として多くの論争点を抱えている。石窟庵本尊仏に自然採光できるよう天井に窓があった、という主張(光窓説)もその一例だ。しかし、光窓が天井にあると荷重を支えることができない、という反論もある。その上、本尊仏が向いている方向は文武王陵としても知られる大王岩の方角だという主張もあるが、旧暦11月に太陽が昇る方角だという説もある。
また、石窟庵が無理数√2の比例美により幾何学的に建築された、という主張もある。日本人測量技師の米田美代治氏が40年に論文を発表して以降、数多くの学者がこの説に従った。しかし60年代に石窟庵を精密に実測した結果、石窟庵の本尊仏を祀っている場所は米田氏の主張するような半径3.6メートル程度の真円ではなく、場所によって半径の長さが1メートル以上も違っていることが明らかになった。要するに幾何学的比例美など、最初からなかったのだ。
ttp://www.chosunonline.com/article/20070923000021
しかも「日帝が石窟庵の原型もすべて壊してしまった」と主張までして。
ったく、日本の好意が無能な朝鮮人の言い訳にしか使われなかった何万件目の例だ?
オメーらが直せないから、わざわざ修復したんだろ、日本は。
戦艦三笠の件といい、歴史遺産の重要性を全く理解してないんだな、あきれるぜ。
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世界文化遺産「石窟庵」、60年代の復元工事に誤り
1960年代の石窟庵復元が間違っていたことを証明する写真が発見された。現在、石窟庵の入口左右にある八部神衆(仏法を守る8人の神)は全て一列に並んでいるが、本来は入口直近の1体が90度曲がっていたことが石窟庵補修工事(1913‐15年)直前に撮影された写真によって明らかになった。
成均館大博物館が17日に公開したこの写真は、石窟庵の本尊仏に向かって右側にある金剛力士像と八部神衆を撮影しているが、八部神衆は現在とは異なり3体が一列に並び、残る1体は90度の角度で曲がっている。この八部神衆像の影がすぐ前の八部神衆象に差している写真からも、このことが分かる。
ひどい破損のため崩壊が憂慮された石窟庵を日帝が1910年代に解体・復元した際、左右の入口にある八部神衆像1対については、他の八部神衆に対して90度角度を付けて配置した。しかし、文化財管理局が1961年から64年にかけて石窟庵を再度復元した際には、この八部神衆を他の八部神衆と同じく一列に並べた。当時の復元関係者は、「日帝が石窟庵の原型もすべて壊してしまった」と主張し、以後40年余りの間、論争が絶えなかった。
姜友邦(カン・ウバン)一郷韓国美術史研究院長(前国立慶州博物館長)は、「2001年に、書誌学者の故・李鐘学(イ・ジョンハク)氏が『朝鮮美術大観』(1910年刊行)に掲載された石窟庵本尊仏左手側の八部神衆の写真を公開したことがあったが、写真の状態が悪かったために、当時は入口にある八部神衆に90度角度がついていたと100%断定することができなかった。今回の写真は、石窟庵の原型を探る決定的な資料となる」と語った。また兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長も「八部神衆の位置が間違っていたことが今回明らかになった。しかし、今即座に石窟庵に手を加えることはできず、そのうち補修時を見計らって手直ししなければならない」とした。
この写真は、1910年代、慶州で東洋軒という写真館を運営していた日本人タナカ氏が撮影したものだと言われている。日帝強占期に京城帝国大学教授だった藤田亮策氏が所蔵していたが、53年に成均館大が購入し、所蔵してきた。
石窟庵の八部神衆の構造は明らかになったものの、石窟庵は依然として多くの論争点を抱えている。石窟庵本尊仏に自然採光できるよう天井に窓があった、という主張(光窓説)もその一例だ。しかし、光窓が天井にあると荷重を支えることができない、という反論もある。その上、本尊仏が向いている方向は文武王陵としても知られる大王岩の方角だという主張もあるが、旧暦11月に太陽が昇る方角だという説もある。
また、石窟庵が無理数√2の比例美により幾何学的に建築された、という主張もある。日本人測量技師の米田美代治氏が40年に論文を発表して以降、数多くの学者がこの説に従った。しかし60年代に石窟庵を精密に実測した結果、石窟庵の本尊仏を祀っている場所は米田氏の主張するような半径3.6メートル程度の真円ではなく、場所によって半径の長さが1メートル以上も違っていることが明らかになった。要するに幾何学的比例美など、最初からなかったのだ。
ttp://www.chosunonline.com/article/20070923000021
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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