日帝がいい加減な復元をしたニダ!
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2007/09/18 14:29 投稿番号: [4066 / 6952]
出た…。
テメエらがずっとほったらかしにしてきたものを、ニテーイが復元したまでの事じゃねえか。
>ガラス原版のフィルムを直接焼き付けた写真で、状態は良好だ。博物館によると、1回目の石窟庵解体・復元の過程を盛り込んだ写真は12点で、うち7点が初公開となる。写真を通じて石窟庵の「前室」が屈折型であったことが再確認された。また、植民支配時代の初期、石窟庵を復元する過程で、本尊仏を除いたすべての礎石が入れ替えられたことも確認された。
工程をひとつひとつ撮影しておくなんて、まさに今に続くスタンダードな手法だわな。
>当時、石窟庵は構造的な原形を失っており、ずさんな施工のため漏水が発生するなど損傷しはじめた。そのため61年に再度修理を行ない、植民支配時代に設けられたコンクリートドームにもう一つのドームをかぶせたものの、正確な考証なしの修理だったという見方が出ている。
再度言う。
テメエらがほったらかしにして荒れていたものを丁寧に修復したまでのことであって、経年変化で雨漏りしたぐらいでガタガタ騒ぐな!!
そんでもって、ドームの上にまたドームだ???
最初から徹底的に修復すりゃ良かっただけじゃねえか???
これだから、朝鮮人に何かをしてやったらダメなんだよ。
絶対にダメ。
漫画家の高信太郎が言うように、メシをおごってやっても平気で「不味い」なんて言える生き物の面目躍如だ。
ま、これは日本人が、日本のものとして修復したわけだから、なおさら、イイカゲンにはしていないわな。
「日本の文化財」になったんだから、当時。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
植民支配時代の石窟庵解体工事写真
日本による植民支配時代(1910〜45年)の1913年に、慶州(キョンジュ)の石窟庵(ソクルアム)を解体し組み立てる過程を撮った写真(ガラス原版)が公開された。
成均館(ソンギュングァン)大学博物館は17日、植民支配時代に石窟庵と多宝塔(ダボタプ)を補修する過程などを盛り込んだ写真を19日から12月19日まで特別展「慶州・新羅(シルラ)遺跡の昨日と今日−石窟庵・仏国寺(プルグクサ)・南山(ナムサン)」を通じて公開する、と発表した。
ガラス原版のフィルムを直接焼き付けた写真で、状態は良好だ。博物館によると、1回目の石窟庵解体・復元の過程を盛り込んだ写真は12点で、うち7点が初公開となる。写真を通じて石窟庵の「前室」が屈折型であったことが再確認された。また、植民支配時代の初期、石窟庵を復元する過程で、本尊仏を除いたすべての礎石が入れ替えられたことも確認された。
写真は当時、慶州で「東洋軒」という写真館を運営していた民間人・田中氏が撮影したものと見られる。博物館のキム・デシック学芸研究士は「石窟庵の解体過程を盛り込んだ写真には、石窟庵のドームを覆っていた土・瓦・石材などの姿が盛り込まれていることから、石窟庵の構造を究明できる重要な資料になるだろう」とした。
博物館は、植民支配時代の写真とともに、2回目(61年)の修理過程から現在に至るまでの過程など、石窟庵の昨日と今日を見せたい、としている。成均館大は「53年に海外へ持ち込まれそうになっていたガラス原版の写真およそ2000点を購入し、今回公開するもの」と説明した。
◇石窟庵=新羅時代(BC57〜AD935)の景徳王(新羅第35代王、キョンドクウァン)10年(751)に仏国寺と共に創建された。損傷はほぼなく、1000年以上も原形を維持してきたが、植民支配時代の1913年に日本当局が、石窟庵を完全に解体しコンクリートのドームを設けた後、その中に彫刻の像を組み立てた。当時、石窟庵は構造的な原形を失っており、ずさんな施工のため漏水が発生するなど損傷しはじめた。そのため61年に再度修理を行ない、植民支配時代に設けられたコンクリートドームにもう一つのドームをかぶせたものの、正確な考証なしの修理だったという見方が出ている。
クォン・グニョン記者
2007.09.18 14:20:06
(中央日報)
テメエらがずっとほったらかしにしてきたものを、ニテーイが復元したまでの事じゃねえか。
>ガラス原版のフィルムを直接焼き付けた写真で、状態は良好だ。博物館によると、1回目の石窟庵解体・復元の過程を盛り込んだ写真は12点で、うち7点が初公開となる。写真を通じて石窟庵の「前室」が屈折型であったことが再確認された。また、植民支配時代の初期、石窟庵を復元する過程で、本尊仏を除いたすべての礎石が入れ替えられたことも確認された。
工程をひとつひとつ撮影しておくなんて、まさに今に続くスタンダードな手法だわな。
>当時、石窟庵は構造的な原形を失っており、ずさんな施工のため漏水が発生するなど損傷しはじめた。そのため61年に再度修理を行ない、植民支配時代に設けられたコンクリートドームにもう一つのドームをかぶせたものの、正確な考証なしの修理だったという見方が出ている。
再度言う。
テメエらがほったらかしにして荒れていたものを丁寧に修復したまでのことであって、経年変化で雨漏りしたぐらいでガタガタ騒ぐな!!
そんでもって、ドームの上にまたドームだ???
最初から徹底的に修復すりゃ良かっただけじゃねえか???
これだから、朝鮮人に何かをしてやったらダメなんだよ。
絶対にダメ。
漫画家の高信太郎が言うように、メシをおごってやっても平気で「不味い」なんて言える生き物の面目躍如だ。
ま、これは日本人が、日本のものとして修復したわけだから、なおさら、イイカゲンにはしていないわな。
「日本の文化財」になったんだから、当時。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
植民支配時代の石窟庵解体工事写真
日本による植民支配時代(1910〜45年)の1913年に、慶州(キョンジュ)の石窟庵(ソクルアム)を解体し組み立てる過程を撮った写真(ガラス原版)が公開された。
成均館(ソンギュングァン)大学博物館は17日、植民支配時代に石窟庵と多宝塔(ダボタプ)を補修する過程などを盛り込んだ写真を19日から12月19日まで特別展「慶州・新羅(シルラ)遺跡の昨日と今日−石窟庵・仏国寺(プルグクサ)・南山(ナムサン)」を通じて公開する、と発表した。
ガラス原版のフィルムを直接焼き付けた写真で、状態は良好だ。博物館によると、1回目の石窟庵解体・復元の過程を盛り込んだ写真は12点で、うち7点が初公開となる。写真を通じて石窟庵の「前室」が屈折型であったことが再確認された。また、植民支配時代の初期、石窟庵を復元する過程で、本尊仏を除いたすべての礎石が入れ替えられたことも確認された。
写真は当時、慶州で「東洋軒」という写真館を運営していた民間人・田中氏が撮影したものと見られる。博物館のキム・デシック学芸研究士は「石窟庵の解体過程を盛り込んだ写真には、石窟庵のドームを覆っていた土・瓦・石材などの姿が盛り込まれていることから、石窟庵の構造を究明できる重要な資料になるだろう」とした。
博物館は、植民支配時代の写真とともに、2回目(61年)の修理過程から現在に至るまでの過程など、石窟庵の昨日と今日を見せたい、としている。成均館大は「53年に海外へ持ち込まれそうになっていたガラス原版の写真およそ2000点を購入し、今回公開するもの」と説明した。
◇石窟庵=新羅時代(BC57〜AD935)の景徳王(新羅第35代王、キョンドクウァン)10年(751)に仏国寺と共に創建された。損傷はほぼなく、1000年以上も原形を維持してきたが、植民支配時代の1913年に日本当局が、石窟庵を完全に解体しコンクリートのドームを設けた後、その中に彫刻の像を組み立てた。当時、石窟庵は構造的な原形を失っており、ずさんな施工のため漏水が発生するなど損傷しはじめた。そのため61年に再度修理を行ない、植民支配時代に設けられたコンクリートドームにもう一つのドームをかぶせたものの、正確な考証なしの修理だったという見方が出ている。
クォン・グニョン記者
2007.09.18 14:20:06
(中央日報)
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/4066.html