日韓歴史論争

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外国の方から見た朝鮮

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2007/08/18 10:28 投稿番号: [4021 / 6952]
ホーマー・ハルバートの言葉もありますね。彼は外国人として初めて建国勲章独立章を韓国政府から受章したほどの人ですから、そんな人物の言葉は真剣に受け止めて欲しい。



http://www.chosunonline.com/article/20070804000029
記事入力 : 2007/08/04 15:03:26
高宗がハルバート博士に送った親書初公開

  大韓帝国の国権回復のため、日本と対立し強制送還されたホーマー・B・ハルバート(1863‐1949)博士に送った高宗の親書と、ハルバート博士が当時の李承晩(イ・スンマン)大統領に送った書簡が3日、初めて公開された。

  これらの書簡は同日午前、ソウル市麻浦区合井洞楊花津の外国人墓地内にあるハルバート博士の墓前で行われた58回忌追悼式で公開された。この追悼式で、ハルバート博士の孫にあたるジュディー・アダムスさん(85)は書簡や写真などの遺品30数点をハルバート博士記念事業会(キム・ドンジン会長)に手渡した。

  記念事業会によると、高宗は日本により強制的に退位させられた後の1909年1月、ハルバート博士に送った親書で「甥のチョ・ナムボクがYMCAで研修するため米国に行った。(あなたの)息子と思って面倒を見てほしい」と頼んだ。親書の表には筆で漢字が書かれているが、裏には同じ内容が英文でタイピングされ、高宗の印もある。

  また、ハルバート博士が1948年12月、李承晩元大統領に送った書簡には「(私はイギリスの)ウェストミンスター寺院よりも韓国の地に埋もれたい」と書かれている。

  ハルバート博士は1886年、23歳のときに大韓帝国の招待で王立英語学校の「育英公院」教師として韓国にやって来た。以降、教育分野の総責任者兼外交顧問官として高宗を補佐した。1905年の乙巳条約(第二次日韓協約)後、高宗の密書を手に米国へ渡り、国務長官や大統領に面会しようとしたが失敗した。1906年に韓国に戻り独立運動の先頭に立つが、1910年には日本により強制追放された。ハルバート博士は約40年後の1949年7月、光復節(日本が敗戦し、韓国が日本の植民地支配から解放された8月15日の記念日)行事出席のため韓国政府に招待され来韓したが、その1週間後に86歳で逝去した。

  政府はハルバート博士の功労を称え、翌1950年、外国人としては初めて建国勲章独立章を授与した。

  この日の追悼式には李逢春(イ・ボンチュン)ソウル地方報勲庁長、金国柱(キム・グクチュ)光復会会長、申英燮(シン・ヨンソプ)麻浦区庁長、在韓米大使館関係者、ジェフリー・ジョーンズ米商工会議所名誉会長、光復会会員ら約200人が出席した。

ユ・ヨンウォン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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