まだまだハーグ特集
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/07/22 16:37 投稿番号: [3967 / 6952]
100周年ということで、ハーグ特集が続きますねー。
今回は上・中・下と「その後」の4つが掲載されています。まずは上から行きましょう。
>それでも特使たちは諦めなかった。オランダ・ライデン大学のツイステル教授は「彼らは世論を活用し、国際法に対する理解も高かった」と評価する。ハーグで「万国平和会議報」を発行したイギリス人のウィリアム・ステッドをはじめ、各国の記者らは特使たちの声に耳を傾けた。英ロイター通信は特使たちの活動状況を世界に向けて報じた。
全権委任状を持っていると言いながら、結局最後までそれを示さないばかりか、ついには偽造したご一行。
委任状の重要性は知っていたということになりますから国際法に通じていると言えそうですねぇ。
次は、中
>イ・ジュン一行は最後まで、決してホテルとは言いがたい規模の「ドゥ・ヨン」に宿泊していた。その重要な時期にイ・ウィジョンがしばらくロシアに向かったのは、資金問題に関係があったものとみられている。高宗が下賜したという活動資金20万ウォンはどこに行ったのだろうか。特使たちがその資金を全額受け取ったのか、その一部だけを受け取ったのかは定かでないが、はっきりしていることが1つある。彼らが自分たちの私的な楽しみのためには資金を使わなかったということだ。
ほんとうにそんな資金はもらっていたのかい?
んで、下
>しかし、4カ月前に法部大臣弾劾事件でむち打ちの刑70発に処された上に、1万キロメートル以上という長旅の結果、失意と怒りの果てに健康を害した48歳のイ・ジュンは、何日も食べ物を口にできない状態に陥っていた。
ああ、ようやく笞刑を受けた平理院検事の李儁とハーグに向かった前平理院検事の李儁が同一人物と認めたのかい。以前は同名異人のような解釈をとっていたはずだが。
関連スレ
■李儁烈士についての疑問な事
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1883880&st=writer_id&sw=dreamtale
>自殺かどうかが重要なのではない。それよりも彼らが徹底的に「捨てられた」ことを記憶にとどめなければならない。
んにゃ、捨てられたかどうかが重要なのではない。それよりも彼らが徹底的に委任状を示さなかったばかりか、偽造までした違法不当な「特使」であったことを記憶にとどめなければならない。
>イ・サンソルが抱き締めたときには、すでにイ・ジュンの体は冷え切っていた。イ・ジュンの棺を買うお金もなかったイ・サンソルは、2カ月後の9月6日にイ・ウィジョンと共に再びハーグを訪れ、102ドル75セントで葬式を行った。
あのさ、前述の20万ドルの資金はなくなったのかい?
最後の「帰国できなかった密使たちのその後」から
>イ・ウィジョンは現在もその没年が定かでない。全州李氏(李王朝の始祖を先祖に持つ家系)広平大君派の出身だったため、ハーグで「プリンス」と呼ばれた彼は、1908年に沿海州に渡り、李範允(イ・ボムユン)、安重根(アン・ジュングン)らと共に義兵団を組織した。11年に前駐ロシア公使だった父・李範晋(イ・ボムジン)が自決した後、遺産1万2000ルーブルを米国やロシアにある多くの独立運動団体に配り、鉄道の駅の事務員として働いていた。
ウラジオストックで資金を使い込んで遊蕩したせいで、ペテルブルグに逃げたことは当然スルー♪
関連資料
ハーグ密使事件関連史料(八)
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050622.html
・・・・・・・
見捨てられた密使たち(上)
http://www.chosunonline.com/article/20070722000016
見捨てられた密使たち(中)
http://www.chosunonline.com/article/20070722000017
見捨てられた密使たち(下)
http://www.chosunonline.com/article/20070722000018
帰国できなかった密使たちのその後
http://www.chosunonline.com/article/20070722000019
今回は上・中・下と「その後」の4つが掲載されています。まずは上から行きましょう。
>それでも特使たちは諦めなかった。オランダ・ライデン大学のツイステル教授は「彼らは世論を活用し、国際法に対する理解も高かった」と評価する。ハーグで「万国平和会議報」を発行したイギリス人のウィリアム・ステッドをはじめ、各国の記者らは特使たちの声に耳を傾けた。英ロイター通信は特使たちの活動状況を世界に向けて報じた。
全権委任状を持っていると言いながら、結局最後までそれを示さないばかりか、ついには偽造したご一行。
委任状の重要性は知っていたということになりますから国際法に通じていると言えそうですねぇ。
次は、中
>イ・ジュン一行は最後まで、決してホテルとは言いがたい規模の「ドゥ・ヨン」に宿泊していた。その重要な時期にイ・ウィジョンがしばらくロシアに向かったのは、資金問題に関係があったものとみられている。高宗が下賜したという活動資金20万ウォンはどこに行ったのだろうか。特使たちがその資金を全額受け取ったのか、その一部だけを受け取ったのかは定かでないが、はっきりしていることが1つある。彼らが自分たちの私的な楽しみのためには資金を使わなかったということだ。
ほんとうにそんな資金はもらっていたのかい?
んで、下
>しかし、4カ月前に法部大臣弾劾事件でむち打ちの刑70発に処された上に、1万キロメートル以上という長旅の結果、失意と怒りの果てに健康を害した48歳のイ・ジュンは、何日も食べ物を口にできない状態に陥っていた。
ああ、ようやく笞刑を受けた平理院検事の李儁とハーグに向かった前平理院検事の李儁が同一人物と認めたのかい。以前は同名異人のような解釈をとっていたはずだが。
関連スレ
■李儁烈士についての疑問な事
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1883880&st=writer_id&sw=dreamtale
>自殺かどうかが重要なのではない。それよりも彼らが徹底的に「捨てられた」ことを記憶にとどめなければならない。
んにゃ、捨てられたかどうかが重要なのではない。それよりも彼らが徹底的に委任状を示さなかったばかりか、偽造までした違法不当な「特使」であったことを記憶にとどめなければならない。
>イ・サンソルが抱き締めたときには、すでにイ・ジュンの体は冷え切っていた。イ・ジュンの棺を買うお金もなかったイ・サンソルは、2カ月後の9月6日にイ・ウィジョンと共に再びハーグを訪れ、102ドル75セントで葬式を行った。
あのさ、前述の20万ドルの資金はなくなったのかい?
最後の「帰国できなかった密使たちのその後」から
>イ・ウィジョンは現在もその没年が定かでない。全州李氏(李王朝の始祖を先祖に持つ家系)広平大君派の出身だったため、ハーグで「プリンス」と呼ばれた彼は、1908年に沿海州に渡り、李範允(イ・ボムユン)、安重根(アン・ジュングン)らと共に義兵団を組織した。11年に前駐ロシア公使だった父・李範晋(イ・ボムジン)が自決した後、遺産1万2000ルーブルを米国やロシアにある多くの独立運動団体に配り、鉄道の駅の事務員として働いていた。
ウラジオストックで資金を使い込んで遊蕩したせいで、ペテルブルグに逃げたことは当然スルー♪
関連資料
ハーグ密使事件関連史料(八)
http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050622.html
・・・・・・・
見捨てられた密使たち(上)
http://www.chosunonline.com/article/20070722000016
見捨てられた密使たち(中)
http://www.chosunonline.com/article/20070722000017
見捨てられた密使たち(下)
http://www.chosunonline.com/article/20070722000018
帰国できなかった密使たちのその後
http://www.chosunonline.com/article/20070722000019
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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