結局。
投稿者: japancalling2003 投稿日時: 2003/05/30 11:00 投稿番号: [367 / 6952]
「顔のない奨学金」送り続ける日本人教授
昨年10月、慶熙(キョンヒ)大学に「韓日関係に関心のある学生や、
その専攻学生に、年間200〜220万ウォンの奨学金を支給する」という
奨学生募集広告が出された。誰が支給する奨学金なのか、
寄付者に対する情報はなかった。
その年の12月、奨学金の支給を受けた学生らは
10編の韓日関係論文をまとめ、「韓日親善奨学生論文集」を出した。
学生らは論文集と共に奨学金の寄付者に感謝の手紙を送ろうとしたが、
学校側も寄付者に対する情報は持っていなかった。
学校側は寄付者の代わりに奨学金を伝達した慶熙大学の卒業生を通じ、
間接的に論文集と手紙を伝えた。
数日後、英語で書かれた返事が届いた。
顔すらも分からない奨学金寄付者が送ってきた手紙の発信地は日本で、
名前はH(女/66)さんだった。
彼女は「私には子供がいませんが、手紙と論文を受け取り、
素晴らしい息子娘を持っているような気がしました」と、したためた。
続いて「私は、日本の醜い過去を打ち消さんが故に、
躍起になっている日本の政治指導者を恥ずかしく思います。
しかし、本当の歴史を悟らせんがため、(日本人の中にも)
努力する者がいるということを覚えておいて下さい」と、綴った。
彼女はその後、学校側に再び連絡を入れた。
「学生らは皆私に感謝していると言いましたし、
また、そのようにすることが礼儀だと思うアとでしょう。
しかし、私はその言tを聞くわけにはいきません。
これからは私が誰なのか、絶対に教えず、手紙をよこしたりもしないで下さい。」
Hさんは今年2月、2003年分の奨学金を伝達するために、
韓国を訪問したが、最後まで学校には現れなかった。
これからも毎年、同額の奨学金を支給するという約束だけを残し、
彼女は日本へと帰って行った。
記者は東奔西走して探し回った結果、Hさんの日本の電話番号を手にし、
今月8日、電話をかけた。
突然の電話にびっくりした様子のHさんは暫らく躊躇ったが、
「ある60代後半の日本の女性が50年前、日本人が韓国など、
アジアで行った事柄をはっきりと覚えており、
またそれに対する謝罪の意味で奨学金を送っている、とだけ伝えて欲しい」とした。
「だから、私は学生たちから感謝の手紙をもらうわけにはいきません。
謝罪する人が感謝を受けるなんて…」。
彼女は日本のある地方大学で国際政治学を教える教授だと自分を紹介した。
大学生たちは習っていないため日本の過去事を知らず、
過去事をよく知っている政治家たちは、
戦後60年になろうとしている今でも、
その過去を歪曲しようとだけしている現実が、
日本人としてはもちろん、1人の人間としてあまりにも恥ずかしかったという。
彼女は「私は戦前世代で、高校まで同年代の人たちと同様、
周りにたくさんいた在日韓国人を
友だちとして受け入れることができなかったという、
痛い過去を持っている」とし、
「歴史教科書から日本の醜い過去事が抜け落ち、
過去をめぐる葛藤が繰り返されるのを見て、小さなことでも、
何かをやりたかった」と話した。
Hさんは2001年秋、一生を講壇に立ち、貯蓄したカネを、
韓国の若者のために寄付することを決め、
同僚の韓国人教授を通じて慶熙(キョンヒ)大学側にこのような旨を伝えた。
彼女が付けた条件は、「奨学金支給者の名前を明かさないこと」が全部だった。
慶熙大学は2002年から「韓日親善奨学金という名の奨学金を新設し、
毎年9人の学生を選抜、Hさんが送る奨学金を支給している。
廉康洙(ヨム・ガンス)記者
こういう認識の日本人が大勢いることが、
韓国側をつけあがらせる一因になっていると思う。
昨年10月、慶熙(キョンヒ)大学に「韓日関係に関心のある学生や、
その専攻学生に、年間200〜220万ウォンの奨学金を支給する」という
奨学生募集広告が出された。誰が支給する奨学金なのか、
寄付者に対する情報はなかった。
その年の12月、奨学金の支給を受けた学生らは
10編の韓日関係論文をまとめ、「韓日親善奨学生論文集」を出した。
学生らは論文集と共に奨学金の寄付者に感謝の手紙を送ろうとしたが、
学校側も寄付者に対する情報は持っていなかった。
学校側は寄付者の代わりに奨学金を伝達した慶熙大学の卒業生を通じ、
間接的に論文集と手紙を伝えた。
数日後、英語で書かれた返事が届いた。
顔すらも分からない奨学金寄付者が送ってきた手紙の発信地は日本で、
名前はH(女/66)さんだった。
彼女は「私には子供がいませんが、手紙と論文を受け取り、
素晴らしい息子娘を持っているような気がしました」と、したためた。
続いて「私は、日本の醜い過去を打ち消さんが故に、
躍起になっている日本の政治指導者を恥ずかしく思います。
しかし、本当の歴史を悟らせんがため、(日本人の中にも)
努力する者がいるということを覚えておいて下さい」と、綴った。
彼女はその後、学校側に再び連絡を入れた。
「学生らは皆私に感謝していると言いましたし、
また、そのようにすることが礼儀だと思うアとでしょう。
しかし、私はその言tを聞くわけにはいきません。
これからは私が誰なのか、絶対に教えず、手紙をよこしたりもしないで下さい。」
Hさんは今年2月、2003年分の奨学金を伝達するために、
韓国を訪問したが、最後まで学校には現れなかった。
これからも毎年、同額の奨学金を支給するという約束だけを残し、
彼女は日本へと帰って行った。
記者は東奔西走して探し回った結果、Hさんの日本の電話番号を手にし、
今月8日、電話をかけた。
突然の電話にびっくりした様子のHさんは暫らく躊躇ったが、
「ある60代後半の日本の女性が50年前、日本人が韓国など、
アジアで行った事柄をはっきりと覚えており、
またそれに対する謝罪の意味で奨学金を送っている、とだけ伝えて欲しい」とした。
「だから、私は学生たちから感謝の手紙をもらうわけにはいきません。
謝罪する人が感謝を受けるなんて…」。
彼女は日本のある地方大学で国際政治学を教える教授だと自分を紹介した。
大学生たちは習っていないため日本の過去事を知らず、
過去事をよく知っている政治家たちは、
戦後60年になろうとしている今でも、
その過去を歪曲しようとだけしている現実が、
日本人としてはもちろん、1人の人間としてあまりにも恥ずかしかったという。
彼女は「私は戦前世代で、高校まで同年代の人たちと同様、
周りにたくさんいた在日韓国人を
友だちとして受け入れることができなかったという、
痛い過去を持っている」とし、
「歴史教科書から日本の醜い過去事が抜け落ち、
過去をめぐる葛藤が繰り返されるのを見て、小さなことでも、
何かをやりたかった」と話した。
Hさんは2001年秋、一生を講壇に立ち、貯蓄したカネを、
韓国の若者のために寄付することを決め、
同僚の韓国人教授を通じて慶熙(キョンヒ)大学側にこのような旨を伝えた。
彼女が付けた条件は、「奨学金支給者の名前を明かさないこと」が全部だった。
慶熙大学は2002年から「韓日親善奨学金という名の奨学金を新設し、
毎年9人の学生を選抜、Hさんが送る奨学金を支給している。
廉康洙(ヨム・ガンス)記者
こういう認識の日本人が大勢いることが、
韓国側をつけあがらせる一因になっていると思う。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/367.html