義慈王・淵蓋蘇文一族の墓
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/08 20:33 投稿番号: [3348 / 6952]
長安じゃなくて洛陽に葬られていたのか。
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中国、義慈王・淵蓋蘇文などの子孫の墓を本格調査
中国が「北ぼう山」(ぼうはおおざとへんに亡)で広く知られる河南省洛陽市ぼう山一体の古墳の文物について、全面調査作業をほとんど終えた、と中国のマスコミが6日に報じた。この一帯には高句麗や百済の滅亡後、連行されてきたり、亡命してきたりした淵蓋蘇文(?−665年=高句麗末期の宰相・将軍)の子孫や百済の移民らも埋葬されており、関連資料の発掘の有無が注目される。
史家珍・洛陽市第2文物工作隊隊長は「3年間にわたるぼう山古墳群の文物調査作業を通じて700基余りの古墳を調査し、今年中に残りの作業を終える予定」と明らかにした。
調査チームは出土品に番号を振り、ぼう山古墳群の地理情報やデータベースの整理作業を終え、近日中に考古発掘報告書を提出する予定だ。
洛陽は中国の古代13王朝の首都だった関係で、ぼう山一帯には各王朝の墓が数十万基も密集している。現在までにぼう山一帯では、漢の光武帝や唐の詩人・杜甫、書芸家・顔真卿などの墓が確認され、高句麗や百済の遺民らの墓石も複数発掘された。
ぼう山の墓石を通じて確認された高句麗や百済の遺民は、黒歯常之将軍(?−698年=百済の将軍、唐に降伏した後も唐の将軍として活躍)、百済・義慈王(599−660年=百済最後の王)の息子・隆、淵蓋蘇文の息子・南生と南産、南生の息子・献誠、献誠の孫・䑛などがいる。これらの墓石は、北京の故宮博物院や河南省博物院に保管されている。
中国は2012年まで「ぼう山陵墓群考古調査および踏査」作業を継続する計画で、この一帯で高句麗・百済遺民関連の史料がさらに発掘される可能性もある。
北京=チョ・ジュンシク特派員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/07/20061107000042.html
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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