>裾野部分が一番重要
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/02/28 13:20 投稿番号: [244 / 6952]
それは、私も仕事を通して経験するなあ…。
経験を積んで、「体得」する事に価値を見出すか、見出さないか、ですかね。
よく司馬遼太郎氏あたりが引き合いに出す、日本の戦国大名と朝鮮の官吏の違いとして、前者は城の築造でもみずからモッコを担いで作業者達を鼓舞するが、後者ならそういう事は「卑賤」な行為として侮蔑する、と。まあ、文化の違いと言えば違いなのですが、一番オイシイ「上澄み」部分だけをそっくり貰ったところで、土台が脆弱だからある時ドドッと崩壊したりする。(ソフト的にもハード的にも。)
どなただったかの投稿で、面白いものがありました。
李朝末期、ある西洋の公使がテニスをしていたら、李朝の官吏がやってきて、「貴方は何をしているのですか?」と問うと、「スポーツです」と答えた。すると李朝官吏は、「そんな体を動かして汗を流す事なんぞは、下僕にでもやらせればいいでしょうに」と。さて、今はどれだけ意識が改革されているかは、分かりません。
さて、通信使の表現では、当時の風景の写実的表現は優れていますが、それを「犬にも劣る連中」と表現するあたり、やはり観念論の徒なんですよね。
実際に、何(誰)がどうしてどうなった(しかも、人も事象も変幻自在に変わる)、ではなく、「何(誰)とは、どういうものなのだ」という根拠のない「決め付け」なのですね。(もちろん、日本人にもそういう傾向は無きにしもあらずですが。)
まあ、それは朝鮮以外にも無い訳ではなく、例えば零戦(ゼロ戦)について、ごくたまに、今でも「日本人如きにそんな優れた飛行機を独自に設計できる訳が無い。きっと実際は大した事ない飛行機の筈だ。また、日本人が優れたパイロットになれる筈が無い」と、必死に「大した事ない」例を探す西洋人とかはいますが、通常は多くの民族が冷静に客観的な評価が出来るようになりますね。(ちなみに、西洋のゼロ戦オタクは、日本人の比ではない。恐ろしすぎ。)
これは メッセージ 241 (chigaigawakaru さん)への返信です.
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