>中国文化と韓国文化 (1)
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/02/23 00:17 投稿番号: [179 / 6952]
>韓国ほど中国と対等に渡り合い、対抗してきた民族もあまりない.
異議アリですね。(韓国を貶めて言っているのではありません。事実と違うという事です。)
尤も、高句麗を純粋に韓国史とするなら、そういう結論に帰結するかも知れませんが。
>韓国の起源は今の中国の地にその発祥を見出せる.
はて、これも異議アリ。
確かに百済や新羅の王家が北方ツングース(漢民族にとって長城の外の「化外の地」)の系統に属するかもしれないけれど、住んでいた民衆の血統を悉く変化はさせていないはずです。つまり、中国から「韓」と呼ばれた民族は、もともと朝鮮半島に居た筈です。(現在の韓国人はもっと血統的に複合されているにしても。)
ですから、王族の出身地がどこであるにせよ、ある土地に定着してそこで国として成立して長い年月が経てば、いかに朝鮮半島の外で支配者層が発生しようとも、それは韓族の国家でしょう。(高句麗は国家としての成立・発展自体が朝鮮半島の外なので、百済・新羅とは別種としてもいいと言えましょう。)
>担い手は韓国から渡っていった弥生人と渡来人が中心だと言いたいのだ.
はて?
「渡来人」は明らかに韓国人と呼んでいいでしょうが、弥生人は、そもそも日本列島や朝鮮半島には部族毎の小国家群が出来るか出来ないかの頃です。つまり、その頃には今でいう「日本人」も「韓国人」も存在していないのです。小部族による原始的な「クニ」としてのアイデンティティーはあっても、後の統一国家である「日本」も「韓国」も、影も形も無いのです。
5世紀以降の「渡来人」が日本の発展に寄与した事は、疑うべくも無く、日本自体がそれをキッチリ認識していますよ。そもそも当時の日本は明らかに今風に言えば発展途上国、いや後進国ですから。だから、記紀にもハッキリと百済経由で漢字や仏教が伝わったとか、百済の亡命王族が初代文部大臣みたいな職に任ぜられているのですよ。(内容は100%信用できないにしても)日本の公式史書である「書紀」に書かれていますから。
ただ、
>それは韓国人が日本と言う地に愛情を持って、夢を持って伝えた韓国育ちの文化だったわけだ.
当時の朝鮮半島三国から来る文物は、当の三カ国から来る人々も、受け取る日本人も、「ありがたい中華文明」という認識でいたわけで、そういう意識は、むしろ日本側ではなく、韓国で李朝時代に最高潮にまで濃縮されました。
文化の授受はもっとドライであったと思われ、双方の利害が一致していたからでしょう。極端には、倭国が朝鮮半島にとって物騒だったので、アメをやって宥め鎮めるという意味もあった事でしょうし、そうでなくとも同盟を強固にする道具でもあったでしょう。
例えば漢字の発音は、日本では中国南北朝までは、百済経由の「呉音(ごいん)」、つまり中国南朝式の発音でしたが、後に隋・唐という大帝国が成立し、日本が遣隋使・遣唐使を送ると早速「もう呉音は役に立たない。これからは漢音(長安での発音)に改めるべきだ」という議論がなされています。つまり、さほど日本では百済経由の中国六朝式に執着はせず、さっそくトレンディな隋・唐式に衣替えしてしまいます。幕末に必死でオランダ語を学んだ福沢諭吉が、もはやオランダ語は時代遅れで、これからは英語の時代だと思い知らされたのと同じです。
重ねて言いますが、だから韓国の影響を軽視していないという事です。むしろ重大でした。
ただ、ニュアンス的に、中華文明の橋渡し的な役割を果たした昔の朝鮮半島の各国家と、昔の日本の事実を、現代までにイデオロギー的・観念的に引き摺るのはナンセンスだと思いますし、日本の大王家(のちの皇室)と半島国家との何らかの血縁にしても、「だから日本の皇室は百済系」というのは、可笑しいですよ。現在の李王家当主は母が日本人ですが、李王家は紛れも無く韓国の王家でしょう。
また、日本の神々が殆ど韓国系とは、私も詳しく知らないので、資料か何か、お教えください。興味があります。(明らかに百済王子を祀った神社はありますし、百済王族を祀った神社もありますが。また、ヤマト系の神とイズモ系の神も、系統が違いますよ。前にも申しましたが、後者は半島の色彩が感じられますね。しかし、どれも全て神として住民達から尊崇されてきたものです。)
(続く)
異議アリですね。(韓国を貶めて言っているのではありません。事実と違うという事です。)
尤も、高句麗を純粋に韓国史とするなら、そういう結論に帰結するかも知れませんが。
>韓国の起源は今の中国の地にその発祥を見出せる.
はて、これも異議アリ。
確かに百済や新羅の王家が北方ツングース(漢民族にとって長城の外の「化外の地」)の系統に属するかもしれないけれど、住んでいた民衆の血統を悉く変化はさせていないはずです。つまり、中国から「韓」と呼ばれた民族は、もともと朝鮮半島に居た筈です。(現在の韓国人はもっと血統的に複合されているにしても。)
ですから、王族の出身地がどこであるにせよ、ある土地に定着してそこで国として成立して長い年月が経てば、いかに朝鮮半島の外で支配者層が発生しようとも、それは韓族の国家でしょう。(高句麗は国家としての成立・発展自体が朝鮮半島の外なので、百済・新羅とは別種としてもいいと言えましょう。)
>担い手は韓国から渡っていった弥生人と渡来人が中心だと言いたいのだ.
はて?
「渡来人」は明らかに韓国人と呼んでいいでしょうが、弥生人は、そもそも日本列島や朝鮮半島には部族毎の小国家群が出来るか出来ないかの頃です。つまり、その頃には今でいう「日本人」も「韓国人」も存在していないのです。小部族による原始的な「クニ」としてのアイデンティティーはあっても、後の統一国家である「日本」も「韓国」も、影も形も無いのです。
5世紀以降の「渡来人」が日本の発展に寄与した事は、疑うべくも無く、日本自体がそれをキッチリ認識していますよ。そもそも当時の日本は明らかに今風に言えば発展途上国、いや後進国ですから。だから、記紀にもハッキリと百済経由で漢字や仏教が伝わったとか、百済の亡命王族が初代文部大臣みたいな職に任ぜられているのですよ。(内容は100%信用できないにしても)日本の公式史書である「書紀」に書かれていますから。
ただ、
>それは韓国人が日本と言う地に愛情を持って、夢を持って伝えた韓国育ちの文化だったわけだ.
当時の朝鮮半島三国から来る文物は、当の三カ国から来る人々も、受け取る日本人も、「ありがたい中華文明」という認識でいたわけで、そういう意識は、むしろ日本側ではなく、韓国で李朝時代に最高潮にまで濃縮されました。
文化の授受はもっとドライであったと思われ、双方の利害が一致していたからでしょう。極端には、倭国が朝鮮半島にとって物騒だったので、アメをやって宥め鎮めるという意味もあった事でしょうし、そうでなくとも同盟を強固にする道具でもあったでしょう。
例えば漢字の発音は、日本では中国南北朝までは、百済経由の「呉音(ごいん)」、つまり中国南朝式の発音でしたが、後に隋・唐という大帝国が成立し、日本が遣隋使・遣唐使を送ると早速「もう呉音は役に立たない。これからは漢音(長安での発音)に改めるべきだ」という議論がなされています。つまり、さほど日本では百済経由の中国六朝式に執着はせず、さっそくトレンディな隋・唐式に衣替えしてしまいます。幕末に必死でオランダ語を学んだ福沢諭吉が、もはやオランダ語は時代遅れで、これからは英語の時代だと思い知らされたのと同じです。
重ねて言いますが、だから韓国の影響を軽視していないという事です。むしろ重大でした。
ただ、ニュアンス的に、中華文明の橋渡し的な役割を果たした昔の朝鮮半島の各国家と、昔の日本の事実を、現代までにイデオロギー的・観念的に引き摺るのはナンセンスだと思いますし、日本の大王家(のちの皇室)と半島国家との何らかの血縁にしても、「だから日本の皇室は百済系」というのは、可笑しいですよ。現在の李王家当主は母が日本人ですが、李王家は紛れも無く韓国の王家でしょう。
また、日本の神々が殆ど韓国系とは、私も詳しく知らないので、資料か何か、お教えください。興味があります。(明らかに百済王子を祀った神社はありますし、百済王族を祀った神社もありますが。また、ヤマト系の神とイズモ系の神も、系統が違いますよ。前にも申しましたが、後者は半島の色彩が感じられますね。しかし、どれも全て神として住民達から尊崇されてきたものです。)
(続く)
これは メッセージ 150 (sadamraden さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/179.html