日韓歴史論争

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>地方領主

投稿者: bigboy_satan0 投稿日時: 2004/02/28 20:16 投稿番号: [1005 / 6952]
>>朝鮮が独立国家で出兵がいやなら参戦を断れば済むことです。何故参戦を拒否できなかったのかといえば、朝鮮が独立国家というよりも明帝国内の一地方領主的性格が強かったからでしょう。
>そんなことを言えば、アメリカにいわれていやいやイラクに出兵する韓国や日本もアメリカの属国となってしまいます。外交関係のしがらみの中では嫌でも出兵せざるをえないこともあるのです。

1615年の大阪夏の陣で豊臣家が滅亡して家康が完全に日本を統一。1616年家康没。同年ヌルハチは後金を建国。サルフの戦いは1619年という具合に短期間に東アジアの情勢は大きく変化しています。
朝鮮にしてみれば、日本を再統一した徳川家の新将軍が、再び第三次朝鮮出兵を行うと言い出すかもしれないという不安も大きかったのでしょう。
朝鮮にしてみれば新興の後金よりも、2度の朝鮮出兵で2回とも派兵してくれた実績のある明帝国との関係は非常に重要。そのことが後金につかずに明についた一因なのでしょう。

また、その後徳川政権が始めた参勤交代は、大名が力を蓄えないようにする為に生み出されたものでしたが、それは同時に諸藩の行軍訓練にもなります。大名行列の編成、装備、兵站線等を見直せば、行き先を江戸から朝鮮に変更すれば、いつでも朝鮮を攻撃することが可能であり、朝鮮は大きな軍事的プレッシャーを受けることになったのでしょう。
参勤交代の制度化は1635年。清の朝鮮侵攻が1636年で、朝鮮が清に服属したのが1637年。

日本は復興支援に行っているのであり、援助金欲しさにベトナム人を殺しまくった韓国軍とは異なります。


>>朝鮮半島の集団は、元の一部になったり、明の一部になったり、後金(清)の一部になったり、日本の一部になったりという具合に独立国家というよりは、常に周辺の強国の一地方領主だったわけです。
>中華帝国内の「地方領主」と外国の朝貢国は当時でもはっきり区別されています。中華帝国の地方行政は中央から派遣された官僚が行いますが、辺境の少数民族地区では例外的に世襲制の地方領主に官職を与え、自治を認める制度もあった。これを「土司」という。特に中国南部の苗族、壮族、イ族、タイ族などに多く、東北の女真族も「土司」の扱いです。ヌルハチはこの土司から身を起こして、明帝国に叛旗を翻した。したがってヌルハチの場合は明帝国の地方領主だったといえる。

例えば薩摩が仕えた政権は、源氏→北条氏→足利氏→豊臣氏→徳川氏→薩長土肥が中心となって創られた明治政府。
朝鮮半島の王朝が仕えた政権は、唐→契丹→金→元→明→清→薩長土肥が中心となって創られた明治政府。
日本の一地方と朝鮮を比較してみると、非常に酷似していますね。
朝鮮王は独立国の国王というよりは、実質的には巨大な地方領主だったのでしょう。

ヌルハチは明の撫順の長官でしたが独立を果たしました。

>朝鮮は越南などとともに外国の朝貢国の扱いで、「土司」とは全く異なるものです。日本も足利義満が明に朝貢して日本国王に冊封されたが、日本が明の「地方領主」だったといえるでしょうか。朝鮮、越南もおなじことです。

義満は将軍であり、その上に天皇がいます。国家のトップが明帝国から国王(実質的には巨大な世襲制地方領主)に任命された朝鮮やベトナムとは異なります。
列強の植民地化の嵐が吹き荒れた時代に、戦争もせずに植民地化された国が二つあります。それは朝鮮とベトナムです。
中国の外交は、周辺国を取り込んで骨抜きにすることに主眼が置かれていたのでは。
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