Re: ウリナラ人的資源は世界一ニダ!
投稿者: pretzs002 投稿日時: 2008/01/29 13:38 投稿番号: [6777 / 9237]
>一回「リセット」して、そして外から多額のゼニを援助してもらって、しかもとなりがイルボンなのにまるで変化無ければ、そりゃあ動物と同じだしなあ。(笑)
「朝鮮 / 韓国のナショナリズムと小国主義」(木村幹著)によると、
『「朝鮮 / 韓国」は小国であるからこそ、「当然の権利として助けられる権利を有しているのであり」、「したがってこれを助けない大国は間違っている」。
・・・・小国は小国であることの当然の帰結として、自らの力のみで国際社会を渡っていくことはできない。しかし、そのような小国を見殺しにするような国際社会は「正義」に適っていない。小国はそのような「正義」に反する国際社会に抗弁する権利を有している。朝鮮 / 韓国は自らが小国であるからこそ、正義の幇助を正当に要求できるのであり、この正当な要求を拒む国際社会は既にそれだけで「間違っている」。援助を請うことに卑屈である必要はないのだ。』
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000397.pdf#search='木村幹'
韓カテの常連さんなら、著者はご存知の方が多いかな、
サイトに載っている部分だけでもなかなかおもしろかったです。
本を読んでみたいのですがお高いんですよねぇ・・・
図書館を探してみましょっと。
↓はこの本が韓国で翻訳された際の記事。
【新刊】木村幹著、金世徳(キム・セドク)訳『朝鮮/韓国ナショナリズムと小国意識』(サンチョロム)
神戸大大学院国際協力研究科教授である著者が本書を著したのは7年前、34歳のときだった。彼は学生時代、一つの疑問を抱いていた。「激烈かつ強烈な」民族主義を前面に出すことで知られる韓国は、1960年代から70年代にかけて、アジア・アフリカの新興国家が加工貿易による工業化戦略を取り、外資を排除していた中で、なぜ逆に外資を積極的に誘致していたのだろうか、と。
本書を著すきっかけとなったのは、まさにこうした問題意識だった。そして本書で著者が導き出した結論は、「韓国のナショナリズムは、他国のそれとはかなり違った論理に基づいている」というものだった。1876年に開国した後、朝鮮王朝の支配層はなぜ、軍事力を強化するなどの改革を一度たりとも行おうとせず、滅亡の道を歩んで行ったのだろうか。著者はその理由が、東アジアの国際秩序の下、「朝貢国家」という形で実質的な独立を守ってきた国家固有の、自らを「小さな国」と認識する「小国意識」にある、と説く。朝鮮王朝が周辺からの脅威にさらされながらも、ほとんど無防備の状態で国家として存立し得たのは、最低限の礼儀を尽くすことで中華帝国の脅威から逃れるだけでなく、安全をも保障してもらえるという「小国意識」のためだったというわけだ。
こうした「小国意識」は、19世紀末の帝国主義の時代、軍事力を強化して列強に立ち向かうのではなく、「大国」に依存して安全を維持しようという意識につながっていった。また、日本の植民地支配から解放された後、李承晩(イ・スンマン)政権下でもこうした意識が受け継がれ、「韓国は小国のため、大国の援助を受ける必要がある」という論理へと発展した。だがこれが、1960年代以降の輸出志向型の工業化政策に受け継がれ、結果的に韓国に経済的な成功をもたらすことになったというのだ。
本書はその研究範囲があまりにも広く、また思いつくままに図式化しているため、所々に盲点がある。開国後の朝鮮王朝で、「儒教的な放任主義経済」体制が確立していく過程について、朴珪寿(パク・ギュス)の思想を通じて理解しようとしたというのがその一つの例だ。朴珪寿が西洋に倣い富国強兵政策を主張した「開化派」の思想的な支柱であったことは事実だが、大院君の失脚後は政策決定に影響を及ぼし得る存在ではなかった。だが、韓国が今や「大国」への飛躍を遂げつつある中で、従来の「小国意識」は克服・転換していく必要があるという、国外からの視点は極めて新鮮なものと言える。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
ttp://www.chosunonline.com/article/20071230000005
大国には大国なりの責任と義務があることでしょうね。
「朝鮮 / 韓国のナショナリズムと小国主義」(木村幹著)によると、
『「朝鮮 / 韓国」は小国であるからこそ、「当然の権利として助けられる権利を有しているのであり」、「したがってこれを助けない大国は間違っている」。
・・・・小国は小国であることの当然の帰結として、自らの力のみで国際社会を渡っていくことはできない。しかし、そのような小国を見殺しにするような国際社会は「正義」に適っていない。小国はそのような「正義」に反する国際社会に抗弁する権利を有している。朝鮮 / 韓国は自らが小国であるからこそ、正義の幇助を正当に要求できるのであり、この正当な要求を拒む国際社会は既にそれだけで「間違っている」。援助を請うことに卑屈である必要はないのだ。』
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000397.pdf#search='木村幹'
韓カテの常連さんなら、著者はご存知の方が多いかな、
サイトに載っている部分だけでもなかなかおもしろかったです。
本を読んでみたいのですがお高いんですよねぇ・・・
図書館を探してみましょっと。
↓はこの本が韓国で翻訳された際の記事。
【新刊】木村幹著、金世徳(キム・セドク)訳『朝鮮/韓国ナショナリズムと小国意識』(サンチョロム)
神戸大大学院国際協力研究科教授である著者が本書を著したのは7年前、34歳のときだった。彼は学生時代、一つの疑問を抱いていた。「激烈かつ強烈な」民族主義を前面に出すことで知られる韓国は、1960年代から70年代にかけて、アジア・アフリカの新興国家が加工貿易による工業化戦略を取り、外資を排除していた中で、なぜ逆に外資を積極的に誘致していたのだろうか、と。
本書を著すきっかけとなったのは、まさにこうした問題意識だった。そして本書で著者が導き出した結論は、「韓国のナショナリズムは、他国のそれとはかなり違った論理に基づいている」というものだった。1876年に開国した後、朝鮮王朝の支配層はなぜ、軍事力を強化するなどの改革を一度たりとも行おうとせず、滅亡の道を歩んで行ったのだろうか。著者はその理由が、東アジアの国際秩序の下、「朝貢国家」という形で実質的な独立を守ってきた国家固有の、自らを「小さな国」と認識する「小国意識」にある、と説く。朝鮮王朝が周辺からの脅威にさらされながらも、ほとんど無防備の状態で国家として存立し得たのは、最低限の礼儀を尽くすことで中華帝国の脅威から逃れるだけでなく、安全をも保障してもらえるという「小国意識」のためだったというわけだ。
こうした「小国意識」は、19世紀末の帝国主義の時代、軍事力を強化して列強に立ち向かうのではなく、「大国」に依存して安全を維持しようという意識につながっていった。また、日本の植民地支配から解放された後、李承晩(イ・スンマン)政権下でもこうした意識が受け継がれ、「韓国は小国のため、大国の援助を受ける必要がある」という論理へと発展した。だがこれが、1960年代以降の輸出志向型の工業化政策に受け継がれ、結果的に韓国に経済的な成功をもたらすことになったというのだ。
本書はその研究範囲があまりにも広く、また思いつくままに図式化しているため、所々に盲点がある。開国後の朝鮮王朝で、「儒教的な放任主義経済」体制が確立していく過程について、朴珪寿(パク・ギュス)の思想を通じて理解しようとしたというのがその一つの例だ。朴珪寿が西洋に倣い富国強兵政策を主張した「開化派」の思想的な支柱であったことは事実だが、大院君の失脚後は政策決定に影響を及ぼし得る存在ではなかった。だが、韓国が今や「大国」への飛躍を遂げつつある中で、従来の「小国意識」は克服・転換していく必要があるという、国外からの視点は極めて新鮮なものと言える。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
ttp://www.chosunonline.com/article/20071230000005
大国には大国なりの責任と義務があることでしょうね。
これは メッセージ 6770 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.