失われた30年
投稿者: pretzs002 投稿日時: 2007/02/05 14:10 投稿番号: [4856 / 9237]
<グローバルアイ>日本公教育の‘失われた30年’
日本義務教育の学力水準がどれほど落ちているかは、経験者が最もよく知っている。 特派員として赴任した後、長女を町内の公立小学校に2年間通わせた。 娘は明るい表情でよく遊び、安心していた。 1学年に1学級しかなく、全校生は100人にもならないため、「充実した教育が受けられる」とプラスに考えていた。しかし錯覚だった。
ある日、韓国の同じ学年の児童らが使っているという自習書を長女に与えたところ、娘は全く理解できなかった。 ショックだった。 近所の人にその話をしたところ、「ほとんどの日本人は公立学校で十分に勉強できるとは期待していない」と語った。 少しお金があれば私立学校に通わせるということだ。
日本も最近、入試シーズンだ。 大学入試シーズンの雰囲気は韓国と似ているが、最近、日本で大学入試よりもよく報道されているのが、私立中学校を目指す小学6年生の熱気だ。 今年、東京をはじめとする首都圏の小学6年生は、6人中1人が私立学校を志願したという。 その比率は過去最高だ。
理由ははっきりしている。 公教育に対する不信感のためだ。 30年前に導入した「ゆとり教育」は「自ら学び、判断し、行動できる‘生きる力’を教えよう」という趣旨だった。 当時は誰もが共感した。
こうした過程を経て現在、公立小中学校の学習量は1970年代末の半分水準になった。ゆとり教育の趣旨は蒸発し、教育現場では週5日制の授業、教科内容の縮小だけが残った。 小学5年の算数の教科書から台形の面積を求める公式が消え、6年の科学の教科書からは心臓の構造がなくなった。 総体的な学力低下につながったのだ。
企業らが立ち上がった。 「いったい教育をどのようにすればこの有り様になるのか」ということだ。 日本経団連は昨年、政府に「義務教育改革についての提言」を発表するに至った。
もはや日本政府も体面を保つことができなかった。 30年間経ってから‘これは違う’という判断を下したのだ。
このため「教育再生会議」は最近▽授業時間数の10%増▽土曜日の補習の実施−−などを骨子とした‘ゆとり教育の見直し’を宣言した。 「学力復活」と「非適格教師の退出」が改革案の二大柱だ。
しかし最近の韓国公教育の流れを見ると、日本と正反対だ。 05年3月に週5日制授業を導入した韓国の学校は、現在、毎月2回の土曜日が休みだ。 今後、毎週の週5日制授業を推進するという。 日本とは違い授業時間の短縮に向かっているのだ。
すぐにも日本が経験した学力低下につながらないか懸念される。 しかしもっと憂慮されるのは‘私教育の助長’だ。 教育熱で劣ることに耐えられない韓国の保護者が、‘人性教育’のためゆっくりと土曜日を過ごす子どもを放っておけるのか。 日本の保護者の10人に1人が子どもを私立学校に行かせようとするのなら、韓国の保護者は10人に5人以上は子どもに私教育を受けさせるのではないだろうか。 日本が経験した公教育不信、‘持つ者’と‘持たざる者’の格差拡大を踏襲するようで心配だ。
日本の公教育改革案を見てもう一つ感じた点がある。 日本教職員組合(日教組)は15年前、土曜授業廃止に積極的だった。 教育の質を改善するための「教員免許更新制」には強力に反対した。 その結果、生徒の学力低下につながり、最近は日教組が厳しい批判を受けている。 これを意識したのか、日教組は02年「地方公務員の公立学校教師が休み期間中に学校に出てこないのは話にならない」という政府の方針に素直に従っている。 原則的に全員出勤だ。 休み期間中の日直までなくした韓国の全国教職員労働組合(全教組)と対照的だ。 教員評価に抵抗する全教組とも接近方式が異なる。
日本公教育の‘失われた30年’の教訓は、日本経済の‘失われた10年’の教訓に劣らず我々にとって重要なものであるはずだ。
金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員 <luckyman@joongang.co.kr>
2007.01.31 15:45:46
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84194&servcode=100§code=120
>日本公教育の‘失われた30年’の教訓は、日本経済の‘失われた10年’の教訓に劣らず我々にとって重要なものであるはずだ。
そう思うのはよろしいのですが、教育に関してならばなおのこと、日本以外の国にも目を向けたほうがよいと思うんですけどね。
そして、他国の教科書についても学ぶべきことが多いと思いますが。
日本義務教育の学力水準がどれほど落ちているかは、経験者が最もよく知っている。 特派員として赴任した後、長女を町内の公立小学校に2年間通わせた。 娘は明るい表情でよく遊び、安心していた。 1学年に1学級しかなく、全校生は100人にもならないため、「充実した教育が受けられる」とプラスに考えていた。しかし錯覚だった。
ある日、韓国の同じ学年の児童らが使っているという自習書を長女に与えたところ、娘は全く理解できなかった。 ショックだった。 近所の人にその話をしたところ、「ほとんどの日本人は公立学校で十分に勉強できるとは期待していない」と語った。 少しお金があれば私立学校に通わせるということだ。
日本も最近、入試シーズンだ。 大学入試シーズンの雰囲気は韓国と似ているが、最近、日本で大学入試よりもよく報道されているのが、私立中学校を目指す小学6年生の熱気だ。 今年、東京をはじめとする首都圏の小学6年生は、6人中1人が私立学校を志願したという。 その比率は過去最高だ。
理由ははっきりしている。 公教育に対する不信感のためだ。 30年前に導入した「ゆとり教育」は「自ら学び、判断し、行動できる‘生きる力’を教えよう」という趣旨だった。 当時は誰もが共感した。
こうした過程を経て現在、公立小中学校の学習量は1970年代末の半分水準になった。ゆとり教育の趣旨は蒸発し、教育現場では週5日制の授業、教科内容の縮小だけが残った。 小学5年の算数の教科書から台形の面積を求める公式が消え、6年の科学の教科書からは心臓の構造がなくなった。 総体的な学力低下につながったのだ。
企業らが立ち上がった。 「いったい教育をどのようにすればこの有り様になるのか」ということだ。 日本経団連は昨年、政府に「義務教育改革についての提言」を発表するに至った。
もはや日本政府も体面を保つことができなかった。 30年間経ってから‘これは違う’という判断を下したのだ。
このため「教育再生会議」は最近▽授業時間数の10%増▽土曜日の補習の実施−−などを骨子とした‘ゆとり教育の見直し’を宣言した。 「学力復活」と「非適格教師の退出」が改革案の二大柱だ。
しかし最近の韓国公教育の流れを見ると、日本と正反対だ。 05年3月に週5日制授業を導入した韓国の学校は、現在、毎月2回の土曜日が休みだ。 今後、毎週の週5日制授業を推進するという。 日本とは違い授業時間の短縮に向かっているのだ。
すぐにも日本が経験した学力低下につながらないか懸念される。 しかしもっと憂慮されるのは‘私教育の助長’だ。 教育熱で劣ることに耐えられない韓国の保護者が、‘人性教育’のためゆっくりと土曜日を過ごす子どもを放っておけるのか。 日本の保護者の10人に1人が子どもを私立学校に行かせようとするのなら、韓国の保護者は10人に5人以上は子どもに私教育を受けさせるのではないだろうか。 日本が経験した公教育不信、‘持つ者’と‘持たざる者’の格差拡大を踏襲するようで心配だ。
日本の公教育改革案を見てもう一つ感じた点がある。 日本教職員組合(日教組)は15年前、土曜授業廃止に積極的だった。 教育の質を改善するための「教員免許更新制」には強力に反対した。 その結果、生徒の学力低下につながり、最近は日教組が厳しい批判を受けている。 これを意識したのか、日教組は02年「地方公務員の公立学校教師が休み期間中に学校に出てこないのは話にならない」という政府の方針に素直に従っている。 原則的に全員出勤だ。 休み期間中の日直までなくした韓国の全国教職員労働組合(全教組)と対照的だ。 教員評価に抵抗する全教組とも接近方式が異なる。
日本公教育の‘失われた30年’の教訓は、日本経済の‘失われた10年’の教訓に劣らず我々にとって重要なものであるはずだ。
金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員 <luckyman@joongang.co.kr>
2007.01.31 15:45:46
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84194&servcode=100§code=120
>日本公教育の‘失われた30年’の教訓は、日本経済の‘失われた10年’の教訓に劣らず我々にとって重要なものであるはずだ。
そう思うのはよろしいのですが、教育に関してならばなおのこと、日本以外の国にも目を向けたほうがよいと思うんですけどね。
そして、他国の教科書についても学ぶべきことが多いと思いますが。
これは メッセージ 1 (live_in_Asia さん)への返信です.