れRe: >オゴルという行為
投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/11/20 15:42 投稿番号: [4429 / 9237]
突然ですが
>「恨」とは外に対象を求めなければ成り立たないように思えます。
いえいえ。「恨」は、あくまでも内なるもの、です。映画「西便制」を観れば
分かります。
「うらむ」は、韓国語には「怨恨ハダ」と「怨望ハダ」というのがあります。
「怨」が、外に向いていることはお分かりですよね。
日本人には、うちに向けての「うらみ」の感覚はありません(だから、「うら
む」を漢字書きするとき、「怨」を使いますよね?)
ゆえに、「韓国的なうらみ」を感じたとき、受け手である我々日本人には、両
者の区別がつかないのではないか、と思います。「怨」も「恨」も同じエネル
ギーを感じるだけで、ベクトルの違いまで分からないのではないかな、という
気がしているのです。だから混同する。
もっとも、現代韓国人の「うらみ」は、み〜んな「怨望」でしょう。よその国
旗を燃やすなんて、その際たるもの。いかがでしょうか。
因みに辞書で「うらむ」を引くと「怨望ハダ」が先に出ます(辞書2つ見まし
た)。「怨恨」も、日本語のそれとは概念の異なるものでしょう。
現代の韓国で、「恨」を持つなんて伝統芸の人たちだけではないか、と思っています。
これは メッセージ 4423 (pretzs002 さん)への返信です.
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