れ>スカルノ
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/07/01 23:58 投稿番号: [1978 / 9237]
スカルノの心情は複雑だと思います。
直接は関係ありませんが、今村中将よりも自分の方が、「政治手腕」においては上だ、なんぞと言っているようですが(回顧録等で)、逆に、今村は、スカルノの意図など当然見通していた、という見方もあります。
また、スカルノが終生日本を特別視して、他の国とは異なった憧れに似た思いを持っていたのは確実のようですね。戦前、戦中、戦後での心の揺れはあったでしょうが。
深田裕介が「ガルーダ商人」で(どのくらい信用できるかは別問題ですが)書いていることですが、どうも昭和18年の大東亜会議のおりに、ジャワ代表として日本に来たときに、天皇が自ら自分のところに歩み寄って握手をしてくれたことが大きかったようですね。
これはスカルノが日本人に語っていることですが。
「あの時は本当に仰天したよ。しかし、あの握手でね、私はわかったんだ。この戦争は侵略戦争だが、少なくとも陛下は大東亜共栄圏の理想とアジア民族の自決の理想を純粋に信じているとね」。
ま、スカルノは民族主義者でもあり、「社会主義者」でもあるのですから、こうは言うでしょうね。
>東南アジアの場合、歴史的な認識よりも、戦後の日本との経済格差の拡大が、反日の動機のようで御座いますが、、、
これはある程度そうですね。
10年位前か、新聞の解説面でよんだことですが、タイ人の感情として、「なぜ日本だけがアジアで発展するんだ」というのがあるということがありましたね。
それに前後して日本の建設会社との契約がこじれてタイ国内で大問題になりました。日本ではほとんど報じられなかったのですが。
但し、1970年代、80年代と今ではまたちがっているかも(アジア経済危機もありましたからね)。
1974年の田中の東南アジア訪問の時の暴動も現地事情の要素の方が強そうですね(それぞれの国内の政治的社会的背景、事情)。
特にジャカルタの反田中暴動は、当時スハルトと対峙していた国軍副司令官スミトロがスハルト追い落としのために騒乱を起こす意図で、ジャカルタの浮浪者たちを金で雇って暴れさせた、というのは結構しられていることです。(学生のデモはあったが、学生はこの暴動には加わっていない、ということが分かっています)。
これは メッセージ 1977 (u26699jp さん)への返信です.
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