このホームページの作成者
投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2004/06/28 01:38 投稿番号: [1976 / 9237]
とは連絡を時々とっています。
よく勉強しているかたで、西洋音楽の歴史の本もだしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はバリに住んだことがなく、バリ文化にも詳しくありませんが、知っている範囲
でお答えします。
現在のバリのヒンドゥーが、インドから直接輸入したものではなく、ジャワの王国
(正確にはマジャパヒト王国)を経由したものであることは広く知られていますが、
マジャパヒトの征服を受ける以前からも、バリはヒンドゥー教を信仰していました。
しかしそのヒンドゥーは、現在のバリ・ヒンドゥーとはかなり違っていたことは想
像に難くありません。
バリにヒンドゥー教が入ったのは5〜6世紀頃と思われます。ジャワにヒンドゥー
教原理に基づく国家が成立したのが4〜5世紀ですから、ほぼ同時期です(地理的な
距離に起因する時間差程度)。
ただ、8世紀以前には文献資料もなく、考古学的資料もわずかで、歴史を再構成す
るのは至難の状況です。
おっしゃるように、「バリ・アガ」はマジャパヒト到来以前の風俗・習慣
をよく残していると言われるので、彼らの生活から、マジャパヒト以前のバリ人の生
活を思い描くことが出来るかも知れません。
現在のバリ・ヒンドゥーでは火葬が普通ですが、バリ・アガは風葬(野ざらし)
で、聖なる場所にもプラ(寺院)はなく、聖なるブリンギンの木が植わっているだけ
だそうです。
但し、聖所にブリンギンを植えるのは中部ジャワでは今でも広く行き渡っている風
習です。だとすると、もしかするとバリ・アガこそかつてのジャワ・ヒンドゥーの風
習をそのまま残しているのかも知れません。
いずれにせよ、後世よりずっとアニミズムに近い土着化した形のヒンドゥー信仰
だったと思われます。
>また、バリにも支配者や王朝はあったと思うのですが、それらと到来ジャワ人の関
係はどうなのでしょうか。
>やってきたジャワ人が数においてバリ人を圧倒したから文化がジャワ化、ヒンドウ
化したということでしょうか。
>それとも、数はすくなかったが、政治的、文化的に優勢だったので、そのように
なったということでしょうか。
たぶん、軍事的、政治的に強力だったのでしょう。数で圧倒したとか、文化的に優
れていた、ということではないと思います。
バリがジャワ文化の強い影響下に置かれたのは、マジャパイトに征服された14世紀
のことだけではありません。8世紀以降断続的に影響を被るようになり、特に10世紀
末以降は東ジャワの王国と縁戚関係に入りました。
以下、長文に尽き略です。
>どうも、1963年のマレーシア連邦結成の対決政策として、共産化の動きがあったようです。
ボルネオ島の南部だけでなく、マレーシアの領有する北部(サバ・サラワク)もインドネシアのものだ、とスカルノが主張して紛争をおこしましたが、うまくいきませんでしたね。国内で共産党と組んで、軍部と対立したのですが(完全に対立したというより、共産党と軍部を対立させ、自分がその上に乗っかると言う試み)、1965年の一応共産党のクーデターといわれている9.30事件が軍に鎮圧されて、スカルノは結局失脚。その時、クーデターを鎮圧した戦略予備軍司令官だったスハルトがのちに大統領になりました。
スカルノはこの時期、やや共産党に偏りすぎていたのは事実ですね。独立戦争を戦った軍人達を完全には押さえきれず、共産党よりになったものと思います。
スハルトも日本軍の作った郷土防衛隊(PETA)出身です。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/asia-in.htm
よく勉強しているかたで、西洋音楽の歴史の本もだしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はバリに住んだことがなく、バリ文化にも詳しくありませんが、知っている範囲
でお答えします。
現在のバリのヒンドゥーが、インドから直接輸入したものではなく、ジャワの王国
(正確にはマジャパヒト王国)を経由したものであることは広く知られていますが、
マジャパヒトの征服を受ける以前からも、バリはヒンドゥー教を信仰していました。
しかしそのヒンドゥーは、現在のバリ・ヒンドゥーとはかなり違っていたことは想
像に難くありません。
バリにヒンドゥー教が入ったのは5〜6世紀頃と思われます。ジャワにヒンドゥー
教原理に基づく国家が成立したのが4〜5世紀ですから、ほぼ同時期です(地理的な
距離に起因する時間差程度)。
ただ、8世紀以前には文献資料もなく、考古学的資料もわずかで、歴史を再構成す
るのは至難の状況です。
おっしゃるように、「バリ・アガ」はマジャパヒト到来以前の風俗・習慣
をよく残していると言われるので、彼らの生活から、マジャパヒト以前のバリ人の生
活を思い描くことが出来るかも知れません。
現在のバリ・ヒンドゥーでは火葬が普通ですが、バリ・アガは風葬(野ざらし)
で、聖なる場所にもプラ(寺院)はなく、聖なるブリンギンの木が植わっているだけ
だそうです。
但し、聖所にブリンギンを植えるのは中部ジャワでは今でも広く行き渡っている風
習です。だとすると、もしかするとバリ・アガこそかつてのジャワ・ヒンドゥーの風
習をそのまま残しているのかも知れません。
いずれにせよ、後世よりずっとアニミズムに近い土着化した形のヒンドゥー信仰
だったと思われます。
>また、バリにも支配者や王朝はあったと思うのですが、それらと到来ジャワ人の関
係はどうなのでしょうか。
>やってきたジャワ人が数においてバリ人を圧倒したから文化がジャワ化、ヒンドウ
化したということでしょうか。
>それとも、数はすくなかったが、政治的、文化的に優勢だったので、そのように
なったということでしょうか。
たぶん、軍事的、政治的に強力だったのでしょう。数で圧倒したとか、文化的に優
れていた、ということではないと思います。
バリがジャワ文化の強い影響下に置かれたのは、マジャパイトに征服された14世紀
のことだけではありません。8世紀以降断続的に影響を被るようになり、特に10世紀
末以降は東ジャワの王国と縁戚関係に入りました。
以下、長文に尽き略です。
>どうも、1963年のマレーシア連邦結成の対決政策として、共産化の動きがあったようです。
ボルネオ島の南部だけでなく、マレーシアの領有する北部(サバ・サラワク)もインドネシアのものだ、とスカルノが主張して紛争をおこしましたが、うまくいきませんでしたね。国内で共産党と組んで、軍部と対立したのですが(完全に対立したというより、共産党と軍部を対立させ、自分がその上に乗っかると言う試み)、1965年の一応共産党のクーデターといわれている9.30事件が軍に鎮圧されて、スカルノは結局失脚。その時、クーデターを鎮圧した戦略予備軍司令官だったスハルトがのちに大統領になりました。
スカルノはこの時期、やや共産党に偏りすぎていたのは事実ですね。独立戦争を戦った軍人達を完全には押さえきれず、共産党よりになったものと思います。
スハルトも日本軍の作った郷土防衛隊(PETA)出身です。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/asia-in.htm
これは メッセージ 1975 (u26699jp さん)への返信です.