有機農業
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2013/02/02 09:08 投稿番号: [2546 / 2559]
記事入力 : 2013/02/02 00:04
教科書にも載った「韓国有機農業の父」
「プルムウォン農場」の創業者で、「韓国有機農業の父」と呼ばれる元敬善(ウォン・ギョンソン)さん(98)が先月8日、老衰のため死去した。
韓国で小中学校の教科書にも紹介されている元さんは、1914年に平安南道中和郡(現在の北朝鮮領)の貧しい農家に生まれた。父親が死んだ後、16歳から農作業を営んだ。
平凡な農民だった元さんの人生は、韓国戦争(朝鮮戦争)で転換点を迎えた。戦争で家を失って苦しむ人を数多く見掛けてからは「飢えた人も孤児も子を失った高齢者も、皆が一緒に生きていかなければ」と口癖のように話していた。行動を通じても「共生」を実践した。
1955年に京畿道富川市の土地1万坪(約3万3000平方メートル)を開墾し、プルムウォン農場を設立。行き場を失った人たちのための共同体を運営した。「プルム」とはふいご(鍛冶屋が勤続を加工するとき、燃焼を助けるために空気を吹き込む道具)のことだ。人々にも火をともし続けるという意味でそう名付けた。農場はその後、ずっと存続した。
人生で2回目の転換点は1975年。日本で「愛農塾」を率いていた小谷純一さん(1910−2004)が書いた有機農法に関する本を読んだことだった。小谷さんを韓国に招いた元さんは驚くべき話を聞いた。小谷さんは「日本は韓国人に対して大きな罪を犯した。罪滅ぼしに心からお願いしたい。肥料と農薬で育てた農産物は全ての生命を殺す。どうかそういう農業はやめてほしい」と話した。
小谷さんに共感した元さんは1976年に京畿道揚州市に農場を移転後、「命を大切に」という精神で、韓国で初めて化学肥料と除草剤を使わない農業団体を結成した。韓国初の有機農業従事者団体「正農会」の発足だ。
しかし、有機農法には問題が山積していた。茂る雑草を手で取り除かなければならず、虫もたくさん付いた。元さんは自ら草取りをし、肥やしをまいて、障害を克服していった。3年後には土がよみがえり、収穫量が増え始めた。
そうした努力が実を結び、92年にはブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)に韓国代表として出席し、有機農法の実践運動について講演した。その後、経済正義実践市民連合(経実連)傘下の環境開発センター(環境正義の前身)で初代理事長に就任した。
2004年には忠清北道槐山郡にプルムウォン農場を移転し、農場周辺に「平和園共同体」を設置し、生涯を通じた共同体運動を続けた。有機農法を通じ、環境保護に貢献した功績が認められ、緑色人賞(1992年)、国連グローバル500賞(95年)、国民勲章冬柏章(97年)、仁村賞(98年)などを受賞した。09年10月には「飢餓対策」創立10周年の記念式で「全世界63億の人口のうち10億人が飢え、2秒に1人が死んでいる。飢えで死ぬ命がない平和な地球をつくろう」と呼び掛けた。
長男の元恵栄(ウォン・ヘヨン)国会議員(民主統合党)は父の精神を受け継ぎ、1981年にプルムウォンを創業した。30年後の今日、年商1兆5000億ウォン(約1260億円)を超える大手食品企業へと成長した。現在は南承祐(ナム・スンウ)社長が経営を引き継いでいる。プルムウォンは故人が生涯実践してきた隣人と命を愛する精神をたたえるため、槐山にある同社研修施設「ロハス・アカデミー」に記念館を設置する意向だ。
呉允熙(オ・ユンヒ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
小谷さん、朝日新聞読んでいたのかな?
教科書にも載った「韓国有機農業の父」
「プルムウォン農場」の創業者で、「韓国有機農業の父」と呼ばれる元敬善(ウォン・ギョンソン)さん(98)が先月8日、老衰のため死去した。
韓国で小中学校の教科書にも紹介されている元さんは、1914年に平安南道中和郡(現在の北朝鮮領)の貧しい農家に生まれた。父親が死んだ後、16歳から農作業を営んだ。
平凡な農民だった元さんの人生は、韓国戦争(朝鮮戦争)で転換点を迎えた。戦争で家を失って苦しむ人を数多く見掛けてからは「飢えた人も孤児も子を失った高齢者も、皆が一緒に生きていかなければ」と口癖のように話していた。行動を通じても「共生」を実践した。
1955年に京畿道富川市の土地1万坪(約3万3000平方メートル)を開墾し、プルムウォン農場を設立。行き場を失った人たちのための共同体を運営した。「プルム」とはふいご(鍛冶屋が勤続を加工するとき、燃焼を助けるために空気を吹き込む道具)のことだ。人々にも火をともし続けるという意味でそう名付けた。農場はその後、ずっと存続した。
人生で2回目の転換点は1975年。日本で「愛農塾」を率いていた小谷純一さん(1910−2004)が書いた有機農法に関する本を読んだことだった。小谷さんを韓国に招いた元さんは驚くべき話を聞いた。小谷さんは「日本は韓国人に対して大きな罪を犯した。罪滅ぼしに心からお願いしたい。肥料と農薬で育てた農産物は全ての生命を殺す。どうかそういう農業はやめてほしい」と話した。
小谷さんに共感した元さんは1976年に京畿道揚州市に農場を移転後、「命を大切に」という精神で、韓国で初めて化学肥料と除草剤を使わない農業団体を結成した。韓国初の有機農業従事者団体「正農会」の発足だ。
しかし、有機農法には問題が山積していた。茂る雑草を手で取り除かなければならず、虫もたくさん付いた。元さんは自ら草取りをし、肥やしをまいて、障害を克服していった。3年後には土がよみがえり、収穫量が増え始めた。
そうした努力が実を結び、92年にはブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)に韓国代表として出席し、有機農法の実践運動について講演した。その後、経済正義実践市民連合(経実連)傘下の環境開発センター(環境正義の前身)で初代理事長に就任した。
2004年には忠清北道槐山郡にプルムウォン農場を移転し、農場周辺に「平和園共同体」を設置し、生涯を通じた共同体運動を続けた。有機農法を通じ、環境保護に貢献した功績が認められ、緑色人賞(1992年)、国連グローバル500賞(95年)、国民勲章冬柏章(97年)、仁村賞(98年)などを受賞した。09年10月には「飢餓対策」創立10周年の記念式で「全世界63億の人口のうち10億人が飢え、2秒に1人が死んでいる。飢えで死ぬ命がない平和な地球をつくろう」と呼び掛けた。
長男の元恵栄(ウォン・ヘヨン)国会議員(民主統合党)は父の精神を受け継ぎ、1981年にプルムウォンを創業した。30年後の今日、年商1兆5000億ウォン(約1260億円)を超える大手食品企業へと成長した。現在は南承祐(ナム・スンウ)社長が経営を引き継いでいる。プルムウォンは故人が生涯実践してきた隣人と命を愛する精神をたたえるため、槐山にある同社研修施設「ロハス・アカデミー」に記念館を設置する意向だ。
呉允熙(オ・ユンヒ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
小谷さん、朝日新聞読んでいたのかな?
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