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新宿救護センター

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2011/06/12 09:17 投稿番号: [2204 / 2559]
記事入力 : 2011/06/12 08:12:14
新宿救護センター開設10年、玄秀盛所長に聞く

歓楽街で10年にわたり1万8000件の無料相談
両親の愛情を知らずさまよい歩き、20種類以上の職業を経験
「白血病ウイルスに感染していることを知り、意味があることをしようと決心した」

  「今回の東日本大震災を見て、救護センターは一つでは足りないと感じた。日本全国にあと7カ所くらい開設したい」
  玄秀盛(ヒョン・スソン=げんひでもり)さん(55)は1956年、大阪で不法滞在者の父と在日韓国人の母との間に生まれた。小学校入学前に母親は家を出て、父親は再婚を繰り返した。玄さんは「実の母からも継母からも愛情を感じたことはなかった。頼れるのは自分だけだと思うようになった」と話した。
  中学校を卒業すると、金を稼ぐために手当たり次第あらゆる仕事に就いた。すし屋の見習い、古紙回収、自動車修理工など、経験した職業は20種類を超える。建設業界の人材派遣会社の社員や私設探偵をしていた時には、暴力団との対決もあった。車のトランクに閉じ込められたまま山の中に捨てられたこともあれば、毒入りの茶を飲まされ、何とか一命を取り留めたこともあった。その後、建設現場の人材派遣会社を経営しながら金をため、レストランをオープンした。
  玄さんは89年、ある僧侶に出会い、弟子にしてほしいと頼んだ。玄さんは「僧侶の世界に興味があったため、1カ月にわたり僧侶に同行し、東北地方を1600キロ巡礼した」と話した。それ以来、あちこちにぶつかっていた人生が、次第に変わり始めた。
  「11年前に献血した際、白血病ウイルスに侵されていることが分かった。いつ死ぬか分からないと思うと、全てが空しくなった。しかし、反対に『生きている間、意味があることをしよう』と決心した」。そして、全ての会社と財産を整理し、2002年に東京新宿に救護センターを開設した。
  「歌舞伎町は『東洋最大の歓楽街』と言われる。やくざが大手を振って歩き、多くの女性が涙を流す場所だ。ここで苦労して暮らす人たちのために、自分の経験と知恵を役立てたかった」
  玄さんは、暴力や借金、家出などで悩んでいる人たちのために、無料で相談に応じ、直接解決に乗り出してきた。この10年間で、相談に訪れた人は1万8000人を超える。「単純な慰めや励ましは、現実的にはほとんど役に立たない。当事者が問題と正面から向き合い、克服することが必要だとアドバイスしてきた」。玄さんは「世の中には、法だけでは解決できない問題も多い。1人でも多くの人を助け、救うという覚悟で突き進むだけだ」と話した。
  玄さんの活動については、韓国ではあまり知られていない。しかし日本では、新聞やテレビ、漫画などを通じて何度も紹介された。最近では新宿救護センターのウェブマガジンを手掛ける作家、佐々涼子さんが『玄秀盛が行く』というタイトルで本を執筆し、韓国語版も出版された。

金真(キム・ジン)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/news/20110612000003

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