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板門店の“壁”は崩れず

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/11/17 17:52 投稿番号: [1825 / 2559]
【から(韓)くに便り】ソウル支局長・黒田勝弘   板門店の“壁”は崩れず
2009.11.17 03:13

  今から20年ほど前に日本で『“板門店の壁”は崩れるか』(1990年、講談社刊)という本を出版したことがある。ソウル五輪(1988年)の後、韓国とソ連など旧共産圏諸国の国交正常化の動きや、「ベルリンの壁」崩壊など国際情勢を背景に、「さて、朝鮮半島の南北分断の壁はどうなるのだろう?」を考えたものだ。

  時間的経過でいうと、ソ連や中国をはじめ共産圏諸国が北朝鮮に遠慮せず、そろって参加したソウル五輪は、その後の「ベルリンの壁」を含む共産圏崩壊への序曲だったともいえる。

  ソウル五輪の閉会式の夜、人々はスタジアムに流れる民謡「アリラン」の曲に酔った。今考えると「私を捨てて去っていくあなた…」という「アリラン」の旋律は、共産圏崩壊という“歴史の終焉(しゅうえん)”を暗示していたのかもしれない。

  ところで韓国と北朝鮮の南北境界線上の「板門店」には、実際には壁はない。あるのはコンクリートの敷石によるささやかな境界線だけだ。壁というのなら、半島を東西に横切る全長240キロの鉄条網がそれにあたる。

  この鉄条網が果たして南北の民衆によって破られ、乗り越えられるのはいつなのだろう?

  今年は「ベルリンの壁」崩壊20年で、ドイツ統一をめぐる回想や現状分析が盛んだ。先の本は「“板門店の壁”は崩れず」「南北統一いまだし」という内容だったが、周知のように朝鮮半島の現状は20年後もそのままである。

  当時を振り返ると、「ベルリンの壁」崩壊に時を合わせるように北朝鮮が対話路線に転じ、板門店では各種の南北対話がしきりに行われた。史上初めての南北首相会談というのもあり、1991年、不可侵宣言や非核化宣言など「南北基本合意書」に調印するまでになった。

  しかしこれは北朝鮮の危機乗り切り策だった。共産圏に“平壌離れ”が始まり、崩壊の兆しの中でもうこれまでのような支援は期待できない。そこでとりあえず韓国との関係を安定化し「南からの不安」を取り除こうとしたのだ。

  北朝鮮が対話に動くときは、いつも自ら困ったときである。

  「ベルリンの壁」崩壊など1990年前後の国際情勢は、北朝鮮にとっても大きな危機だったのだ。そして韓国(あるいは米国)に対しては、危機に乗じて“攻撃”されないよう不可侵や非核化を約束させる一方、自らはひそかに核開発に取り組んだ。

  もう一つの危機は1994年の金日成死亡だ。半世紀にわたる神格化された絶対的な指導者の死は体制上の一大事だ。外部世界では以前から「金日成さえ亡くなれば北は変わる」といわれてきた。

  このとき、北朝鮮は米国との対話で「米朝ジュネーブ合意」を結んでいる。核開発凍結というエサで国際社会を安心させ、「米国の脅威」を排除するとともにエネルギーなど膨大な支援も獲得した。

  北朝鮮の危機に際し、国際社会はいつもそれに乗ずることができなかった。対話や合意にだまされ、逆に支援によって北の“変化”をつぶしてきた。今また北朝鮮は対話や交渉に焦がれている。間違いなく北は危機なのだ。

  それにしても「ベルリンの壁」崩壊20年に、韓国では「板門店の壁」崩壊や南北統一の展望にことさらの思いはないようにみえる。瞬発力が自慢の韓国人だから、突然その時がやってきてもなんとかなると思っているのだろうか。


>瞬発力が自慢の韓国人だから、突然その時がやってきてもなんとかなると思っているのだろうか。

ハハハハハ
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