キルギス外相
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/06/25 19:22 投稿番号: [1693 / 2559]
キルギス外相の日本への「恋心」
モスクワ支局 緒方賢一
本紙のインタビューに応じるキルギスのサルバエフ外相 出張にハプニングは付きもの。爆弾テロの吹き荒れるバグダッドでは、脱出しようと空港へたどり着いたら、「予約便は欠航」と告げられ、へたりこんだ。取材現場でカメラが動かず、見ず知らずの人にカメラを借りてシャッター・チャンスを逃さずに済んだこともあった。6月初めに訪れた旧ソ連の中央アジア・キルギスでは、想定外の方向に取材が進んだ。
「ウイスキーはどうですか?」――。30分と時間制限まで付けられたインタビューを終えると、相手から意外な言葉をかけられた。場所は外務大臣執務室。縁なしメガネと慎重な言い回しから、「堅物」と勝手に思いこんでいたカドイルベク・サルバエフ外相が、スコッチ・ウイスキーを勧めてくれた。
まずは型通りに「キルギスと日本の友好のため!」と乾杯。ウオツカ・グラスに注がれたウイスキーを一気にあおると、すぐほろ酔い気分に。ちょいと一杯のつもりだったが、外相に勧められるままグラスを重ねた。
「私は日本が大好きで、日本語を勉強したくて大学へ進学しました。最初に覚えた日本語は『銀座へはどうやって行きますか』でした」
サルバエフ氏は中国語を専門に学び、駐中国大使も務めた中国の専門家。片言だが日本語を話すのを聞いてびっくりした。
ソ連時代末期、サルバエフ氏はキルギスからウラジオストクの国立極東総合大学へ進み、日本語専攻を希望した。しかし、当時は外国語の人材養成にもノルマがあった。個人の希望よりも、国家が機械的に人数を決めた枠に、過不足なく学生を割り振ることが優先された。「半年勉強すれば面白くなるから」と周囲に勧められ、サルバエフ氏は日本語を断念し、中国語へ転向したそうだ。
「好きな女優は栗原小巻、映画監督は黒沢明。そしてあこがれはソニー」――。ウラジオストクでの学生時代に抱いていた日本のイメージを語り、同じ大学に留学していた日本人学生との楽しい交流の思い出を聞かせてくれた。日本へのあこがれを熱く語るサルバエフ氏からは、外相となった今も変わらぬ日本への「恋心」が伝わってきた。
酔いも回ったころ、首都ビシケクで1年ほど前に開業した日本料理店へ移り、外務省幹部や、外相が携帯電話で呼び集めたビシケク駐在の日本人外交官も一緒になって夜中までどんちゃん騒ぎが続いた。30分という取材時間の制限は何だったのか?
翌日、私は午前8時半から取材。しばらくぶりに二日酔いで頭がボーっとしたまま取材に出向いた。昼過ぎに取材を終えてホテルへ帰りテレビをつけると、神妙な顔つきで会議に出席するサルバエフ外相の姿が映っていた。
(2009年6月22日 読売新聞)
憧れの存在じゃあなければダメよ。
そうでしょ?朝鮮人さん。
モスクワ支局 緒方賢一
本紙のインタビューに応じるキルギスのサルバエフ外相 出張にハプニングは付きもの。爆弾テロの吹き荒れるバグダッドでは、脱出しようと空港へたどり着いたら、「予約便は欠航」と告げられ、へたりこんだ。取材現場でカメラが動かず、見ず知らずの人にカメラを借りてシャッター・チャンスを逃さずに済んだこともあった。6月初めに訪れた旧ソ連の中央アジア・キルギスでは、想定外の方向に取材が進んだ。
「ウイスキーはどうですか?」――。30分と時間制限まで付けられたインタビューを終えると、相手から意外な言葉をかけられた。場所は外務大臣執務室。縁なしメガネと慎重な言い回しから、「堅物」と勝手に思いこんでいたカドイルベク・サルバエフ外相が、スコッチ・ウイスキーを勧めてくれた。
まずは型通りに「キルギスと日本の友好のため!」と乾杯。ウオツカ・グラスに注がれたウイスキーを一気にあおると、すぐほろ酔い気分に。ちょいと一杯のつもりだったが、外相に勧められるままグラスを重ねた。
「私は日本が大好きで、日本語を勉強したくて大学へ進学しました。最初に覚えた日本語は『銀座へはどうやって行きますか』でした」
サルバエフ氏は中国語を専門に学び、駐中国大使も務めた中国の専門家。片言だが日本語を話すのを聞いてびっくりした。
ソ連時代末期、サルバエフ氏はキルギスからウラジオストクの国立極東総合大学へ進み、日本語専攻を希望した。しかし、当時は外国語の人材養成にもノルマがあった。個人の希望よりも、国家が機械的に人数を決めた枠に、過不足なく学生を割り振ることが優先された。「半年勉強すれば面白くなるから」と周囲に勧められ、サルバエフ氏は日本語を断念し、中国語へ転向したそうだ。
「好きな女優は栗原小巻、映画監督は黒沢明。そしてあこがれはソニー」――。ウラジオストクでの学生時代に抱いていた日本のイメージを語り、同じ大学に留学していた日本人学生との楽しい交流の思い出を聞かせてくれた。日本へのあこがれを熱く語るサルバエフ氏からは、外相となった今も変わらぬ日本への「恋心」が伝わってきた。
酔いも回ったころ、首都ビシケクで1年ほど前に開業した日本料理店へ移り、外務省幹部や、外相が携帯電話で呼び集めたビシケク駐在の日本人外交官も一緒になって夜中までどんちゃん騒ぎが続いた。30分という取材時間の制限は何だったのか?
翌日、私は午前8時半から取材。しばらくぶりに二日酔いで頭がボーっとしたまま取材に出向いた。昼過ぎに取材を終えてホテルへ帰りテレビをつけると、神妙な顔つきで会議に出席するサルバエフ外相の姿が映っていた。
(2009年6月22日 読売新聞)
憧れの存在じゃあなければダメよ。
そうでしょ?朝鮮人さん。
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