潘外相事務総長立候補顛末記

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外交と人間関係

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2007/12/27 17:58 投稿番号: [1146 / 2559]
記事入力 : 2007/12/27 17:02:51
【コラム】外交と人間関係

  1998年11月21日、韓国の大統領府で韓米首脳会談が開かれた。会談を終え、会場を後にしようとしていたビル・クリントン大統領(当時)を金大中(キム・デジュン)大統領が呼び止めた。クリントン大統領を窓際に呼び寄せた金大統領は、低い声で語りかけた。「政治家は大きなことを成し遂げる過程で、さまざまな困難に見舞われるものです。あなたは米国の財政赤字を減らし、経済を立て直した英雄として歴史に記録されるはずです。今の逆境に打ち勝ってください」という内容だった。

  当時クリントン大統領は1995年から96年にかけてホワイトハウスの実習生モニカ・ルインスキーと「不適切な関係」を持ったことが明らかになり、最大の危機に直面していた。宿泊していたソウル市内のホテルの客室に、夜ごとに酒の空き瓶が転がっていたという話が出るほど、当時のクリントン大統領は精神的に追い詰められていた。

  それから約1年後の1999年7月2日。弾劾の危機を乗り越えたクリントン大統領が、金大統領をワシントンに招いた。金大統領をホワイトハウスで出迎えたクリントン大統領は「昨年ソウルを訪問した際にかけてもらった慰めの言葉は、決して忘れない」とし、感謝の意を表した。

  1990年代末に北朝鮮が大量破壊兵器を開発するのを防ぐため、韓米両国がペリープロセスを積極的に推進することになった背景には、両首脳の個人的な信頼関係が存在していた。当時米国政府には、金大中政権が2000年に米国に打診することなく南北首脳会談を開催し、単独で太陽政策を展開したことに対する不満がくすぶっていた。しかしクリントン大統領はさまざまな形で金大統領に配慮したため、両国間の亀裂が深まることはなかった。

  当時とは対照的に、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の5年間にわたる外交面での失敗は、盧大統領の人間関係の失敗と言っても過言ではない。盧大統領は在任中、米国や日本、中国、ロシアの周辺4大国をはじめ、主要国家の首脳との間で個人的な共感を伴うような人間関係を形成することに失敗した。そのため盧大統領が退任後に外国から招かれて講演を行うといった話も、まだ聞こえてきていない。

  他の分野はともかく、外交においては首脳同士の関係が国家政策に影響を与えることが多い。第2次世界大戦の際、米国のルーズベルト大統領と英国のチャーチル首相は2000通近い手紙をやりとりし、連合軍を勝利に導いた。また第2次世界大戦後に米日関係がもっとも良好だった80年代は、レーガン大統領と中曽根首相との蜜月時代でもあった。両首脳は互いに「ヤス(康弘を縮めた愛称)」、「ロン(同じくロナルドを縮めた略称)」と呼び合うほどだった。ガリ元国連事務総長もかつて「わたしの経験からすると、外交では私的な人間関係が決定的な役割を果してきた」と語ったことがある。

  李明博(イ・ミョンバク)次期大統領が就任後、米国のブッシュ大統領をはじめとする諸外国の首脳から「ミョンバク」または「MB(ミョンバクのイニシャル)」などと呼ばれるほどの親密な関係を作っていくことを願っているのは、何も記者だけではあるまい。李次期大統領には在任中から、2013年2月の退陣予定日以降の招待状が各国から舞い込むほど、海外に多くの友人を作ってほしい。それは国の利益にもかなうことだ。

  中曽根元首相は先日、「『外交』とは、(国家)首脳部の“手の握り合い”だった」と語った。李次期大統領が外交面で歴史に残る業績を成し遂げるためには、海外の首脳らと交わる努力を怠ってはならないだろう。

ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS


DJやノムタソなんてどうでも良いよ。
PA−に人脈なんてあるのか?
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