朝鮮妄想

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私利私欲⇒朝鮮妄想⇒付和雷同⇒自爆

投稿者: cyber_assassinat_x 投稿日時: 2010/07/01 22:04 投稿番号: [477 / 1457]
私利私欲⇒朝鮮妄想⇒付和雷同⇒朝鮮火病⇒朝鮮自爆⇒屈辱感⇒朝鮮妄想に戻る

こういう無限連鎖が半島DNAには存在するね。


朝鮮戦争60周年:住民たちはなぜ殺し合ったのか

朝鮮戦争当時の農山漁村の住民虐殺を追う

「身分制や地主制、一族の対立などが、激しい衝突や虐殺の引き金に」


  「韓国戦争(朝鮮戦争)当時の地域対立は、階級間や政治理念の対立よりも、親族や集落、身分の対立がより大きな引き金になった」


  韓国近・現代史の研究者である、漢陽大の朴賛勝(パク・チャンスン)教授はこの10年間、韓国戦争当時の一般人の戦争体験について聞くため、韓国中の農山漁村を訪ね歩いた。最近出版した『田舎の村の韓国戦争』(石枕社)は、地域住民の証言を基に、農山漁村の戦時中の様子について検証し、住民同士の虐殺をもたらした対立の歴史的な根源について探る内容だ。

  研究の対象は、全羅南道珍島郡のX里、同道霊岩郡徳津面永保里、忠清南道扶余郡にある、同じ一族が暮らす二つの村、同道唐津郡合徳邑、同道錦山郡富利面の5カ所だ。一部の地域で名前を出すことができなかったのは、戦争の傷跡が今でも深いことを示している。

  玄風郭氏の一族が暮らす珍島郡のX里は、家族までもが右派と左派に分かれ、2カ月間で160人以上が命を落とした。その背景には、親族同士の戦争に対する強烈な意識があった。朝鮮王朝第14代国王・宣祖の代にこの村へ定住するようになった玄風郭氏は、「長派」「仲派」「季派」に分かれたが、歴史的には仲派が中心となり、季派は不利な立場に置かれていた。特に、日本統治時代にX里が属していた郡内面の面長(村長)は、長派と仲派が牛耳っており、季派からは面長を一人も出せなかった。そして、日本の植民地支配から解放された直後、仲派は左派、季派は右派となり、さらに対立が深まった。そんな中で起こった韓国戦争は、保導連盟(左派の人物を転向させ、別個に管理する目的で組織された団体)のメンバーの処刑、朝鮮人民軍進駐後の右派の虐殺、国連軍が奪回した後に行われた反逆者の処刑という悪循環により、村をズタズタにした。

  朴教授はこのほか、両班(朝鮮王朝時代の貴族階級)の村と平民の村が衝突した扶余郡や、両班の村で、村の共同体の結束力は強かったものの、左派の指導者を多数輩出したため、韓国戦争後に急速に力を失った霊岩郡永保里、地主や小作地の管理人と小作人の対立や、宗教対立が重なった唐津郡合徳邑、二つの両班の一族が対立した錦山郡富利面のケースを取り上げた。

  富利面にあった28の集落はほとんど、両班の家系であるキル氏とヤン氏の一族が暮らし、両家は競争しながらも協力し、共存してきた。解放後、キル氏は多くが左派となり、ヤン氏は右派になったが、両家は姻族関係などで結び付いていたため、韓国戦争が発生しても、大きな衝突は起こらなかった。だが、1950年11月に朝鮮人民軍が撤退した後、右派が住民集会を開いている最中にパルチザンが奇襲し、78人が殺害された。被害者はヤン氏側に多かったが、キル氏側にも一部被害が出た。だが、外部の人たちが主導した虐殺事件の後も、両家は互いにかばい合った。家柄や姻族関係が、政治理念よりも大きな影響を与えたというわけだ

  朴教授は「韓国戦争以前の韓国社会は、身分制や地主制、一族の対立、集落の対立など、対立が多い社会だった。韓国人はこうした対立をうまく解消することができず、その結果、激しい衝突や反復的な虐殺へとつながっていった」と指摘した。

http://www.chosunonline.com/news/20100701000061
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