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祇園祭はウリナラ起源

投稿者: doronpa95 投稿日時: 2009/11/30 00:03 投稿番号: [124 / 1457]


まず祇園社の由来をホン・ユンギ教授の《日本の歴史歪曲》、学民社222ページを参考で調べれば次のようだ。「斎明天皇、百済系女王、655〜661在位)2年(656年)に高句麗から倭国王室に渡ってきた使節、伊利之(いりし)は新羅国牛頭山にいらっしゃったスサノオミコトシン(須佐之男明神)を山城国(京都の過去の名前)の八坂郷にお連れして祭事を差し上げた。伊利之は王からヤサカノミヤツコ(八坂造)という姓を受けた。(八坂神社、《由緒略期》)

上の資料では伊利之が牛頭山の「スサノオミコト」を迎えたとなっている。すなわち、スサノオミコト=牛頭王で656年に新羅から迎えて現在八坂神社で主神としてまつっている。

「神をまつってきた。」という言葉を近頃の人々は実感しにくいだろう。しかしこの頃も長男がまつった祭事をまつることができな場合に次男が「まつって」祭事を行うことはいくらでもある。次男がまつることができる状態にならなければ「寺にまつる。」等しながら「神を移動させて」でもまつることが祭事の粘り強い生命力だ。

《京都祇園祭》にある「祇園祭の歴史」を見ると次のような一節がある。

「869年京都に伝染病が荒れ狂った。これは牛頭王のたたりだ」

ここで日本語「タタリ」は韓国語「タル(事故)」が原形だ。「山所(墓地)をよく扱えなければタル(事故)が生ずる。」が良い例だ。これを土台に「牛頭王のたたり」を解説してみれば牛頭王に事故が生じて、そのうっぷん晴らしで京都に伝染病を流布させたと考えたのだ。

それで656年からまつっていって、ずっと至極誠心誠意に祭事を行ってきた牛頭王の事故をどのように解決したのだろうか?当時清和王(869年)は占い師や大臣を招集して、いっぱい災い(事故)が生じた牛頭王を慰めるための会議を開き、その結果当時66地方の数字ぐらいの御輿(鉾と山)を作って祭事を行う御霊会を開くに至り、これが今日の祇園祭の原形だ。

結局、京都の祇園祭は古代韓半島の神である「牛頭王」の「事故」をなだめるための祭事だったのだ。新羅の神・牛頭王に対する祭事を日本は千余年が過ぎた今でも「マツリ」という名前で盛大に行っている。




イ・ユンオク(韓日文化交流研究所長)
キム・ヨンジョ(青い松同胞文化研究所長)

ソース:文化ジャーナル21(韓国語) 記事入力:2009/11/25 [08:40]
h   ttp://www2.mhj21.com/sub_read.html?uid=21804&section=sc120

祇園はサンスクリットだろ。

祇園精舎

悟りを開いた釈迦が最も多く留まって説法をした精舎。アナータピンディカ(給孤独)長者と呼ばれていた大商人スダッタとジェータ(祇陀)太子の寄進によってできたため、「阿弥陀経」ではジェータ王子の樹園(祇樹)・アナータピンディカの園(給孤独園)と2人の名を冠して「祇樹給孤独園」とよばれている。それを略して「祇園」という。

当時コーサラ国の首都舎衛城(シュラーヴァスティ)の郊外であり、現在では北インドのバルランプールという町の郊外サヘト・マヘトにその遺跡が残っている。

平家物語の冒頭部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で知られる。

h   ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%C0%B1%E0%C0%BA%BC%CB

つうか朝鮮に世界的に有名な祭りとかあんのか?
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