賎人、タイの政情を語る
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2010/03/17 07:27 投稿番号: [9458 / 10735]
記事入力 : 2010/03/16 17:00:37
【コラム】寛容の罠
にわかに想像できないが、このようなことを仮定してみよう。数万人の反政府デモ隊が、ある夏の日にソウルの大統領府(青瓦台)とその周辺の政府庁舎を一気に占領。デモ隊は大統領府内の芝生に臨時の演壇を設け、連日、大統領に対して辞任を求める集会を開く。移動式トイレが数百カ所にも設置され、そこから出るにおいもひどい。大統領は国防部に逃れ、閣僚と数千人の公務員は、光化門の近くにある空き事務所へとバラバラに避難して業務に当たる。このようにして100日が過ぎた。しかし、依然として自分たちの要求が受け入れられないことから、デモ隊は慶尚南道泗川、全羅南道木浦、務安などにある空港を1週間にわたり占拠した。軍や警察が鎮圧に乗り出すと、今度は仁川国際空港と金浦空港を占拠。このため数万人の外国人観光客は、直ちに水原市の空軍飛行場から国外へ脱出し、旅行のキャンセルも相次いだ。
これは2008年5月から12月にかけて、タイで実際に起こったデモ騒動を基にしたものだ。これらの反政府活動を起こしたのは、タイの民主党を支持する、黄色い服を着た集団だった。タイの憲法裁判所が選挙法違反の罪で政権与党の「国民の力(PPP党)」に対し解散を命じると、民主党はPPP党議員数十人と四つの政党を引き込んで連立政権を打ち立てた。黄色い服を着た集団は、自分たちの望み通りに政権交代を実現させたのだ。
では、彼らはその後、どのような処罰を受けたのか。実は一人も処罰されていない。逆に、当時スワンナプーム国際空港をマヒさせて演壇に上がり、反政府行動を扇動したカシット・ピロムが外務大臣に就任するなど、幹部らは政府の閣僚などに任命された。
今度は、政権を奪われた、「赤い服」姿のデモ隊の番だ。彼らはパタヤで行われる予定だった「東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス韓中日」首脳会議の会場に乱入し、会議を中止させた。昨年4月のことだ。この赤い軍団も、いまだに処罰を受けておらず、国際会議場への乱入を許した責任を取り、パタヤ警察署長一人が解任されただけだ。
昨年1月に記者がタイのアピシット首相にインタビューを行った際、首相は「タイは寛容な社会だ」と強調した。不正蓄財の罪で懲役2年の刑を宣告されたタクシン前首相が帰国し、処罰を受けた上で国民に許しを請えば、政治活動も再開できるという。そして今回、そのタクシン氏が扇動しているとされる数十万人の赤い軍団が、今月12日から4日間にわたり、バンコク市内中心部を占拠し、都市機能をマヒさせている。15日には大渋滞の道路で、67歳のタクシー運転手が「わたしが若かったとき、タイはアジアで2位か3位の国だったのに、この有様は一体どういうことだ」とため息をついた。
1932年に立憲君主制が導入されて以降、タイではクーデターが19回も起こった。クーデター勢力はそのたびに国王と国民に許しを請い、あいまいなまま事態は収束した。クーデターが日常化したことによって、タイの発展は急速にスピードが落ちた。
国土の面積は韓国(南韓)の5倍、人口が6500万人のタイは、韓国にとっても特別な国だ。韓国戦争(朝鮮戦争)には3650人が参戦し、129人が戦死した、まさに血盟の関係と言ってもいいだろう。韓流ブームも活発に起こっており、交易量も年間100億ドル(約9兆円)規模に達する。
八つか九つの政党が乱立し、どの政党も過半数を得られない権力の分散と、82歳になる国王の健康悪化が混乱の直接的な原因とされている。しかし、気温が33度から時には36度にまで上がる暑さの中、連日のようにデモ隊の後を追いかける記者には、「行きすぎた寛容と法治の破たんも、混乱の原因の一つではないだろうか」という思いが常に頭をよぎる。
香港=李恒洙(イ・ハンス)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
あたしから見ると、タイよりも南朝鮮の方が異常だよ。
【コラム】寛容の罠
にわかに想像できないが、このようなことを仮定してみよう。数万人の反政府デモ隊が、ある夏の日にソウルの大統領府(青瓦台)とその周辺の政府庁舎を一気に占領。デモ隊は大統領府内の芝生に臨時の演壇を設け、連日、大統領に対して辞任を求める集会を開く。移動式トイレが数百カ所にも設置され、そこから出るにおいもひどい。大統領は国防部に逃れ、閣僚と数千人の公務員は、光化門の近くにある空き事務所へとバラバラに避難して業務に当たる。このようにして100日が過ぎた。しかし、依然として自分たちの要求が受け入れられないことから、デモ隊は慶尚南道泗川、全羅南道木浦、務安などにある空港を1週間にわたり占拠した。軍や警察が鎮圧に乗り出すと、今度は仁川国際空港と金浦空港を占拠。このため数万人の外国人観光客は、直ちに水原市の空軍飛行場から国外へ脱出し、旅行のキャンセルも相次いだ。
これは2008年5月から12月にかけて、タイで実際に起こったデモ騒動を基にしたものだ。これらの反政府活動を起こしたのは、タイの民主党を支持する、黄色い服を着た集団だった。タイの憲法裁判所が選挙法違反の罪で政権与党の「国民の力(PPP党)」に対し解散を命じると、民主党はPPP党議員数十人と四つの政党を引き込んで連立政権を打ち立てた。黄色い服を着た集団は、自分たちの望み通りに政権交代を実現させたのだ。
では、彼らはその後、どのような処罰を受けたのか。実は一人も処罰されていない。逆に、当時スワンナプーム国際空港をマヒさせて演壇に上がり、反政府行動を扇動したカシット・ピロムが外務大臣に就任するなど、幹部らは政府の閣僚などに任命された。
今度は、政権を奪われた、「赤い服」姿のデモ隊の番だ。彼らはパタヤで行われる予定だった「東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス韓中日」首脳会議の会場に乱入し、会議を中止させた。昨年4月のことだ。この赤い軍団も、いまだに処罰を受けておらず、国際会議場への乱入を許した責任を取り、パタヤ警察署長一人が解任されただけだ。
昨年1月に記者がタイのアピシット首相にインタビューを行った際、首相は「タイは寛容な社会だ」と強調した。不正蓄財の罪で懲役2年の刑を宣告されたタクシン前首相が帰国し、処罰を受けた上で国民に許しを請えば、政治活動も再開できるという。そして今回、そのタクシン氏が扇動しているとされる数十万人の赤い軍団が、今月12日から4日間にわたり、バンコク市内中心部を占拠し、都市機能をマヒさせている。15日には大渋滞の道路で、67歳のタクシー運転手が「わたしが若かったとき、タイはアジアで2位か3位の国だったのに、この有様は一体どういうことだ」とため息をついた。
1932年に立憲君主制が導入されて以降、タイではクーデターが19回も起こった。クーデター勢力はそのたびに国王と国民に許しを請い、あいまいなまま事態は収束した。クーデターが日常化したことによって、タイの発展は急速にスピードが落ちた。
国土の面積は韓国(南韓)の5倍、人口が6500万人のタイは、韓国にとっても特別な国だ。韓国戦争(朝鮮戦争)には3650人が参戦し、129人が戦死した、まさに血盟の関係と言ってもいいだろう。韓流ブームも活発に起こっており、交易量も年間100億ドル(約9兆円)規模に達する。
八つか九つの政党が乱立し、どの政党も過半数を得られない権力の分散と、82歳になる国王の健康悪化が混乱の直接的な原因とされている。しかし、気温が33度から時には36度にまで上がる暑さの中、連日のようにデモ隊の後を追いかける記者には、「行きすぎた寛容と法治の破たんも、混乱の原因の一つではないだろうか」という思いが常に頭をよぎる。
香港=李恒洙(イ・ハンス)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
あたしから見ると、タイよりも南朝鮮の方が異常だよ。
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