在日同胞の生活史を日本人の目で見る1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2010/01/03 17:25 投稿番号: [9206 / 10735]
在日同胞の生活史
日本人の目で 2010-01-01
発掘し 伝え 支える
在日同胞の今日に至る歴史に胸を痛め、想像を超える厳しい生活を強いられた事実に驚く日本人は少なくない。一般的な日本人にとって同胞は、かかわりたくない異質な隣人から、今では普通の隣人に、そして共生の対象へと少しずつ変わってきた。同胞と真摯に向き合い、理解を深めてきた日本人たちは、在日の歴史を発掘し、伝え、あるいは支えるために、地道な努力を続けている。
■□ 東京 聞き取りの成果展示
大田区の「昭和のくらし博物館」(小泉和子館長・76)で開かれている企画展「在日のくらし‐ポッタリ(風呂敷包み)ひとつで海を越えて」。「昭和」という時代を生きた同胞の衣・食・住に焦点を当てている。小泉館長を中心とするメンバー8人が、一昨年5月から約1年間をかけて、在日1世への聞き取り調査を行った。
「在日の方は私たちと同じ土地で、一緒の時間を生きているのに、その暮らしのかけらも知らなかった。衣食住はどうだったのか、条件の悪いなかでいかに自分たちの生活様式を守り、どう生きてきたのかを知りたかった」と館長は話す。
小泉館長から「在日のくらし」をテーマにすると聞かされたとき、在日と接点のないメンバーの多くは戸惑った。
雪朱里さん(38)には「在日の歴史をきちんと知らない自分が、そんなテーマに取り組むことができるのか」大きな不安があった。
「入り込むと耐えられないような事実が浮かび上がってくるんじゃないか」。断片的に触れてはいけないと思ったと話す長井亜弓さん(46)。
韓国や在日に関心はなかったが、従軍慰安婦問題が大きく取り上げられたことで、考えが一変したという里村洋子さん(63)。拉致問題などの関連資料を読み始めたころ、今回の企画展の話を聞き、嬉しいと思った。
名古屋市で生まれ育った前潟由美子さん(29)は、京都の大学に入るための部屋探しのとき、在日の集住地区でもあった京都の駅裏には住むなと強く言われたことを今も忘れない。
聞き取りは、在日韓人歴史資料館、川崎市ふれあい館関係者の協力を得ながら、住まい、食生活、衣生活、お産、冠婚葬祭、娯楽などのテーマ別に取り組んだ。
雪さんは概説とドブロクを担当。知り合った川崎トラヂの会のハルモニたちは、「夫の仕事が見つからず、収入を得る方法の1つだった」「警察とのイタチゴッコだった」と語る。「在日はドブロクを作り、違法行為をしているという悪いイメージばかりが残っている。だが、そうしなければ生きられなかった状況を日本人が作った事実を、きちんと伝えていかねば」と雪さん。
在日の住まいを担当した前潟さんは、1934年9月から翌年2月にかけて、東京府学務部社会課が行った東京市内の集住地区に関する調査報告をもとに作業を進めた。 集住地区は不良住宅密集地区や工場、工事現場の近辺に形成された。最も人口が多いのは、深川の4300人。41年に環境整備を目的としてバラックを建設。旧深川区内に不法住宅を構えていた同胞約1000人を中心に、強制的に移住させたことが始まりとされる。 報告書にある集住地区は6カ所だ。いずれの地区も環境は劣悪。深川区塩崎町では66戸の住まいに対して、トイレは1カ所。ほかも水道、電気などの設備がない生活環境に置かれていたことが分かる。
戦後の国の差別も知る
前潟さんは「戦後とくに大衆の差別に加え、国の差別があった。現在も就職や入居差別はある。社会保障という問題が人の生活を追い詰め、生活を変えてしまう」と憤る。
長井さんは当初、同胞の子育てについて調べる予定だった。だが、ハルモニたちは「食べさせることだけで精一杯、どう子育てしたのか覚えていない」という返事。その後、衣服全般の調査に切り替えた。
洗濯では白いものをより白くするために、手洗い、煮洗い、棒で叩き洗いをした後、糊づけした衣服を砧打ちするという過程を知る。また、同胞の統制と同化を目的とした協和会が全国的に組織されると、民族服を着るオモニたちに和服着用を強いるための着付け教室や、和裁教室などが開かれたという事実を知る。
新潟でハルモニたちの聞き取りをした里村さんは、冠婚葬祭を担当。感じたのは、祖国の姿に少しでも近づきたいという1世たちの強い思いだ。婚礼衣裳は伝統様式でと、チマチョゴリを着用する同胞も少なからずいたという。
メンバーたちはこれからも、出会ったハルモニら在日との関係を大事にし、さらに交流を深めたいと語る。
2に続きます。
発掘し 伝え 支える
在日同胞の今日に至る歴史に胸を痛め、想像を超える厳しい生活を強いられた事実に驚く日本人は少なくない。一般的な日本人にとって同胞は、かかわりたくない異質な隣人から、今では普通の隣人に、そして共生の対象へと少しずつ変わってきた。同胞と真摯に向き合い、理解を深めてきた日本人たちは、在日の歴史を発掘し、伝え、あるいは支えるために、地道な努力を続けている。
■□ 東京 聞き取りの成果展示
大田区の「昭和のくらし博物館」(小泉和子館長・76)で開かれている企画展「在日のくらし‐ポッタリ(風呂敷包み)ひとつで海を越えて」。「昭和」という時代を生きた同胞の衣・食・住に焦点を当てている。小泉館長を中心とするメンバー8人が、一昨年5月から約1年間をかけて、在日1世への聞き取り調査を行った。
「在日の方は私たちと同じ土地で、一緒の時間を生きているのに、その暮らしのかけらも知らなかった。衣食住はどうだったのか、条件の悪いなかでいかに自分たちの生活様式を守り、どう生きてきたのかを知りたかった」と館長は話す。
小泉館長から「在日のくらし」をテーマにすると聞かされたとき、在日と接点のないメンバーの多くは戸惑った。
雪朱里さん(38)には「在日の歴史をきちんと知らない自分が、そんなテーマに取り組むことができるのか」大きな不安があった。
「入り込むと耐えられないような事実が浮かび上がってくるんじゃないか」。断片的に触れてはいけないと思ったと話す長井亜弓さん(46)。
韓国や在日に関心はなかったが、従軍慰安婦問題が大きく取り上げられたことで、考えが一変したという里村洋子さん(63)。拉致問題などの関連資料を読み始めたころ、今回の企画展の話を聞き、嬉しいと思った。
名古屋市で生まれ育った前潟由美子さん(29)は、京都の大学に入るための部屋探しのとき、在日の集住地区でもあった京都の駅裏には住むなと強く言われたことを今も忘れない。
聞き取りは、在日韓人歴史資料館、川崎市ふれあい館関係者の協力を得ながら、住まい、食生活、衣生活、お産、冠婚葬祭、娯楽などのテーマ別に取り組んだ。
雪さんは概説とドブロクを担当。知り合った川崎トラヂの会のハルモニたちは、「夫の仕事が見つからず、収入を得る方法の1つだった」「警察とのイタチゴッコだった」と語る。「在日はドブロクを作り、違法行為をしているという悪いイメージばかりが残っている。だが、そうしなければ生きられなかった状況を日本人が作った事実を、きちんと伝えていかねば」と雪さん。
在日の住まいを担当した前潟さんは、1934年9月から翌年2月にかけて、東京府学務部社会課が行った東京市内の集住地区に関する調査報告をもとに作業を進めた。 集住地区は不良住宅密集地区や工場、工事現場の近辺に形成された。最も人口が多いのは、深川の4300人。41年に環境整備を目的としてバラックを建設。旧深川区内に不法住宅を構えていた同胞約1000人を中心に、強制的に移住させたことが始まりとされる。 報告書にある集住地区は6カ所だ。いずれの地区も環境は劣悪。深川区塩崎町では66戸の住まいに対して、トイレは1カ所。ほかも水道、電気などの設備がない生活環境に置かれていたことが分かる。
戦後の国の差別も知る
前潟さんは「戦後とくに大衆の差別に加え、国の差別があった。現在も就職や入居差別はある。社会保障という問題が人の生活を追い詰め、生活を変えてしまう」と憤る。
長井さんは当初、同胞の子育てについて調べる予定だった。だが、ハルモニたちは「食べさせることだけで精一杯、どう子育てしたのか覚えていない」という返事。その後、衣服全般の調査に切り替えた。
洗濯では白いものをより白くするために、手洗い、煮洗い、棒で叩き洗いをした後、糊づけした衣服を砧打ちするという過程を知る。また、同胞の統制と同化を目的とした協和会が全国的に組織されると、民族服を着るオモニたちに和服着用を強いるための着付け教室や、和裁教室などが開かれたという事実を知る。
新潟でハルモニたちの聞き取りをした里村さんは、冠婚葬祭を担当。感じたのは、祖国の姿に少しでも近づきたいという1世たちの強い思いだ。婚礼衣裳は伝統様式でと、チマチョゴリを着用する同胞も少なからずいたという。
メンバーたちはこれからも、出会ったハルモニら在日との関係を大事にし、さらに交流を深めたいと語る。
2に続きます。
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