黒田さんも焼きが回った
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/09/17 07:07 投稿番号: [8981 / 10735]
【から(韓)くに便り】ソウル支局長・黒田勝弘
元日本軍兵士への配慮
2009.9.16 03:23
さる8月、韓国で亡くなった知り合いに金大中(キム・デジュン)元大統領と長老作家の韓雲史(ハン・ウンサ)さんがいて、いずれも本紙で記事になっている。
2人は享年85と86。韓さんの方が1つ年上だったが、共に1920年代の前半、大正時代末期に生まれ、日本敗戦の45年、昭和20年には二十歳ちょっとの青年だった。日本統治時代に生まれ育った人たちだ。日本語はたいそう達者で日本通だった。
金大中氏が語った日本時代の思い出で印象に残っているのは、故郷の学校、木浦商業時代の話だ。日本人の先生が黒板に石川啄木の短歌「東海の/小島の磯の/白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたわむる」を紹介し、その感想を作文に書かされたのだが、クラスで一番の成績をもらったというのだ。
頭の良かった金大中氏らしいエピソードだ。彼は読書家で知られ博識だった。少年時代の“思い出”として、啄木の短歌を語れるのは金大中氏らが最後だろう。
韓雲史氏は日本統治時代末期の「朝鮮人学徒志願兵」出身で、その体験を基にした60年代の作品『玄海灘は知っている』がドラマや小説でベストセラーになるなど、人気作家だった。放送や映画のシナリオのほか、歌の作詞でもベストセラーが多かった。
42年、昭和17年に一高受験を目指し日本に渡るが失敗、その後、夏目漱石やロシア文学などに接し文学を志した。中央大予科に在籍中、帰国し学徒志願兵として入隊する。
彼の日本時代の最大のエピソードは、ソウル(当時は京城)における学徒志願兵壮行会での出来事だ。韓雲史学生は壮行会の途中、敢然と1人立ち上がって来賓の小磯国昭・朝鮮総督に向かって質問した。
「小磯総督におたずねします!小磯総督は、われわれ学徒志願兵が出征したのち、朝鮮2500万の将来を確実に保証し得るや否や、明確なる返答を乞(こ)います!」
会場は一瞬、水を打ったように静まり返ったが、やがて小磯総督はこう答えた。
「そのようなことを疑っている者は、皇国臣民としての訓練いまだ足らずというべきである」
学徒志願兵三千数百人は44年、昭和19年1月に入営したが韓雲史氏は戦後、無事帰国できた。
学徒志願兵を含め、先の戦争での韓国人(朝鮮人)の動員は20万人とも30万人ともいわれる。日本の厚生省は死亡確認の軍人・軍属約2万2千人、帰国者22万人という。戦没者は周知のように靖国神社に祭られている。「日本のために身をささげてくれた人たち」ということで当然のことだろう。
韓雲史氏はヒューマニスト(人間主義者?)として、日韓ドラマでは「悪い日本人」とともに「いい日本人」も多く描いてきた。そしてよく「懐の深い日本」に期待を語っていた。青春を賭けた「日本」には愛憎というより終始、愛着があったように思う。
彼と話をするたびに思ったことは「国の品格」ということだった。日本として「元日本人」たちに何か報いてやれないものか、とくに日本のために苦労していただいた元日本軍人たちに。いわゆる「補償問題」は外交的に終わっているので、あとは日本旅行に際しての何らかの恩典とか。
韓国社会で少なくなりつつある「元日本人」たちの多くは、日本を高く評価する日本ファンの「語り部」である。はやりの若者交流もいいが、シルバー交流など彼らをもっと大事にしたいものだ。
これさあ、実施したらトンデモナイ事になるぞ。
2009.9.16 03:23
さる8月、韓国で亡くなった知り合いに金大中(キム・デジュン)元大統領と長老作家の韓雲史(ハン・ウンサ)さんがいて、いずれも本紙で記事になっている。
2人は享年85と86。韓さんの方が1つ年上だったが、共に1920年代の前半、大正時代末期に生まれ、日本敗戦の45年、昭和20年には二十歳ちょっとの青年だった。日本統治時代に生まれ育った人たちだ。日本語はたいそう達者で日本通だった。
金大中氏が語った日本時代の思い出で印象に残っているのは、故郷の学校、木浦商業時代の話だ。日本人の先生が黒板に石川啄木の短歌「東海の/小島の磯の/白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたわむる」を紹介し、その感想を作文に書かされたのだが、クラスで一番の成績をもらったというのだ。
頭の良かった金大中氏らしいエピソードだ。彼は読書家で知られ博識だった。少年時代の“思い出”として、啄木の短歌を語れるのは金大中氏らが最後だろう。
韓雲史氏は日本統治時代末期の「朝鮮人学徒志願兵」出身で、その体験を基にした60年代の作品『玄海灘は知っている』がドラマや小説でベストセラーになるなど、人気作家だった。放送や映画のシナリオのほか、歌の作詞でもベストセラーが多かった。
42年、昭和17年に一高受験を目指し日本に渡るが失敗、その後、夏目漱石やロシア文学などに接し文学を志した。中央大予科に在籍中、帰国し学徒志願兵として入隊する。
彼の日本時代の最大のエピソードは、ソウル(当時は京城)における学徒志願兵壮行会での出来事だ。韓雲史学生は壮行会の途中、敢然と1人立ち上がって来賓の小磯国昭・朝鮮総督に向かって質問した。
「小磯総督におたずねします!小磯総督は、われわれ学徒志願兵が出征したのち、朝鮮2500万の将来を確実に保証し得るや否や、明確なる返答を乞(こ)います!」
会場は一瞬、水を打ったように静まり返ったが、やがて小磯総督はこう答えた。
「そのようなことを疑っている者は、皇国臣民としての訓練いまだ足らずというべきである」
学徒志願兵三千数百人は44年、昭和19年1月に入営したが韓雲史氏は戦後、無事帰国できた。
学徒志願兵を含め、先の戦争での韓国人(朝鮮人)の動員は20万人とも30万人ともいわれる。日本の厚生省は死亡確認の軍人・軍属約2万2千人、帰国者22万人という。戦没者は周知のように靖国神社に祭られている。「日本のために身をささげてくれた人たち」ということで当然のことだろう。
韓雲史氏はヒューマニスト(人間主義者?)として、日韓ドラマでは「悪い日本人」とともに「いい日本人」も多く描いてきた。そしてよく「懐の深い日本」に期待を語っていた。青春を賭けた「日本」には愛憎というより終始、愛着があったように思う。
彼と話をするたびに思ったことは「国の品格」ということだった。日本として「元日本人」たちに何か報いてやれないものか、とくに日本のために苦労していただいた元日本軍人たちに。いわゆる「補償問題」は外交的に終わっているので、あとは日本旅行に際しての何らかの恩典とか。
韓国社会で少なくなりつつある「元日本人」たちの多くは、日本を高く評価する日本ファンの「語り部」である。はやりの若者交流もいいが、シルバー交流など彼らをもっと大事にしたいものだ。
これさあ、実施したらトンデモナイ事になるぞ。
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