日本史
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/16 07:32 投稿番号: [6678 / 10735]
中日春秋
2008年2月16日
およそ会話というものは、突き詰めると自分を語り合う、ということであろう。仮に、自分が「誰」なのかを知らないとすれば、話は忽(たちま)ち行き詰まるに違いない
▼それが自国であっても、事情は大差ない。ある親が子を海外に留学させた。留学先から一時帰国した時、とほうもない勉強嫌いだったはずの子が熱心に日本の歴史だの地理だのを勉強したがるので、訝(いぶか)しんでわけを問うた。子曰(いわ)く。「よその国の子と話していたら、自分が日本のことを全然語れないことに気がついた」と
▼神奈川県が県立高校で日本史を必修にすることを決めたそうだ。文科省が世界史だけで日本史を必修にしないので独自に、ということらしいが、県教育長が言うように「日本が米国と戦争したことさえ知らない若者がいる」(読売)のが実情なら、むしろ日本中で必修にすべきかもしれぬ
▼「過去は、現在ではありませんか。未来でもあるのです」。米国の劇作家ユージン・オニールの作中にある台詞(せりふ)を持ち出すまでもないが、時間は続いているのである。過去すなわち歴史を学ぶこととは、つまり現在を知ること、未来を考えることでもあるだろう
▼生徒たちは、日本史を「余分」と考えないでほしい。あの留学生の話のように、海外で人と交わる時にも必要な知識である。国際化というとまず英語となるけれど、英語はコミュニケーションの道具ではあっても中身ではない
▼両方そろうに、こしたことはないがまずは中身だろう。どこかの俚諺(りげん)にも曰く。<スープなしより、スプーンなしの方がましだ>
>「よその国の子と話していたら、自分が日本のことを全然語れないことに気がついた」
完全に特アの思惑と別な方向に行っていますね。
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