白頭山はウリの聖地ニダ
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/01/15 17:08 投稿番号: [6235 / 10735]
記事入力 : 2008/01/15 16:25:38
中国の「長白山文化論」に韓国の学者が反論
「中国の“長白山(白頭山)文化論”は、韓国の民族文化の独自性を否定しようとする、“もう一つの東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)”だ」
白頭山を「長白山」と表記し、「女真族発祥の地」であることを強調する中国当局の「長白山文化論」に対して反論を試みる論文が発表された。又石大の趙法鍾(チョ・ポプチョン)教授(韓国古代史専攻)は、最近発行された学術誌『白山学報』第79号に、「長白山文化論に対するの批判的検討」と題した論文を掲載した。
「長白山文化」という表現は、2000年10月に発足した中国吉林省の「長白山文化研究会」によって提唱されたものであり、長白山を「中国東北文化を代表し、東北人民の精神的シンボルである」「中国文化の重要な源流の一つだ」などと定義付けるものだ。また、白頭山をユネスコの世界遺産に単独で登録しようとする中国当局の目標に沿ったさまざまな開発政策を打ち出している。
「長白山文化論」の内容は、▲白頭山の名称は「長白山」であり、▲「長白山文化」を共有する範囲は現在の東北3省から内モンゴル自治区東部、ロシア沿海州、韓半島(朝鮮半島)の一部にまたがるもので、▲西周時代から中国に服属してきた粛慎族を中心に発達した後、ユウ婁→靺鞨→女真→満州族に受け継がれていった、というものだ。また▲「長白山文化」は漢民族の影響を受けて成立した中原文化圏の一部であり、▲満州族によって「長白山」が宗教的な崇拝の対象になった、とも主張している。
だが、趙法鍾教授は中国側のこうした主張に対し、次のように反論している。「白頭山」という名称は、すでに8世紀の統一新羅時代初期について記録した『三国遺事』(1281年編集)第3巻の「台山五万真身」と「溟州五台山宝叱徒太子伝記」に登場し、さらに『高麗史』でも、高麗の太祖王の系統について説明する「高麗世系」の中で、高麗王朝のルーツを明らかにする象徴的な意味で使われているという。これに対し「長白山」は、これよりはるかに後の11世紀の時代状況について記した『遼史』(1344年編集)で初めて登場するというのだ。
また、白頭山周辺地域の文化の主体についても、古朝鮮→扶余→高句麗→渤海と続いたイェ貊系の民族が約2000年にわたって政治的な主導権を握っていたため、「女真族を中心とする文化圏」とする中国側の主張は正しくないという。さらに「靺鞨」は高句麗・渤海に属していた運命共同体だった。また、早い時期に中国に服属したという「粛慎」は、中国側がその子孫だと主張する「ユウ婁」とは地域的にも血縁的にも結びつきのない種族であり、実際に拠点だった地域も遼河と山海関(万里の長城の東端)の間のため、白頭山が「中原文化圏」であったという根拠は消滅するという。一方、山に対する宗教的な崇拝も、白頭山を文殊菩薩信仰と絡めた統一新羅・高麗時代の伝統に由来するものだ、と説明している。
その上で趙教授は「いわゆる統一的な多民族国家論を合理化しようとする立場から出てきた「長白山文化論」は、満州地域(現・中国東北部)における高句麗・渤海の文化を中国文化に含めようとする歴史の歪曲(わいきょく)だと記した。
属国の悲哀ですか・・・
中国の「長白山文化論」に韓国の学者が反論
「中国の“長白山(白頭山)文化論”は、韓国の民族文化の独自性を否定しようとする、“もう一つの東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)”だ」
白頭山を「長白山」と表記し、「女真族発祥の地」であることを強調する中国当局の「長白山文化論」に対して反論を試みる論文が発表された。又石大の趙法鍾(チョ・ポプチョン)教授(韓国古代史専攻)は、最近発行された学術誌『白山学報』第79号に、「長白山文化論に対するの批判的検討」と題した論文を掲載した。
「長白山文化」という表現は、2000年10月に発足した中国吉林省の「長白山文化研究会」によって提唱されたものであり、長白山を「中国東北文化を代表し、東北人民の精神的シンボルである」「中国文化の重要な源流の一つだ」などと定義付けるものだ。また、白頭山をユネスコの世界遺産に単独で登録しようとする中国当局の目標に沿ったさまざまな開発政策を打ち出している。
「長白山文化論」の内容は、▲白頭山の名称は「長白山」であり、▲「長白山文化」を共有する範囲は現在の東北3省から内モンゴル自治区東部、ロシア沿海州、韓半島(朝鮮半島)の一部にまたがるもので、▲西周時代から中国に服属してきた粛慎族を中心に発達した後、ユウ婁→靺鞨→女真→満州族に受け継がれていった、というものだ。また▲「長白山文化」は漢民族の影響を受けて成立した中原文化圏の一部であり、▲満州族によって「長白山」が宗教的な崇拝の対象になった、とも主張している。
だが、趙法鍾教授は中国側のこうした主張に対し、次のように反論している。「白頭山」という名称は、すでに8世紀の統一新羅時代初期について記録した『三国遺事』(1281年編集)第3巻の「台山五万真身」と「溟州五台山宝叱徒太子伝記」に登場し、さらに『高麗史』でも、高麗の太祖王の系統について説明する「高麗世系」の中で、高麗王朝のルーツを明らかにする象徴的な意味で使われているという。これに対し「長白山」は、これよりはるかに後の11世紀の時代状況について記した『遼史』(1344年編集)で初めて登場するというのだ。
また、白頭山周辺地域の文化の主体についても、古朝鮮→扶余→高句麗→渤海と続いたイェ貊系の民族が約2000年にわたって政治的な主導権を握っていたため、「女真族を中心とする文化圏」とする中国側の主張は正しくないという。さらに「靺鞨」は高句麗・渤海に属していた運命共同体だった。また、早い時期に中国に服属したという「粛慎」は、中国側がその子孫だと主張する「ユウ婁」とは地域的にも血縁的にも結びつきのない種族であり、実際に拠点だった地域も遼河と山海関(万里の長城の東端)の間のため、白頭山が「中原文化圏」であったという根拠は消滅するという。一方、山に対する宗教的な崇拝も、白頭山を文殊菩薩信仰と絡めた統一新羅・高麗時代の伝統に由来するものだ、と説明している。
その上で趙教授は「いわゆる統一的な多民族国家論を合理化しようとする立場から出てきた「長白山文化論」は、満州地域(現・中国東北部)における高句麗・渤海の文化を中国文化に含めようとする歴史の歪曲(わいきょく)だと記した。
属国の悲哀ですか・・・
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