キム・ヒョンギのお仕事
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2007/12/11 11:54 投稿番号: [5809 / 10735]
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=93627&servcode=100§code=140
↑の記事を書いた記者の第2報です。とんでもねえ野郎だ。
「北朝鮮にいる孫娘、抱きしめてやりたいが…」
めぐみさんのご両親である横田滋さん(75)と早紀江さん(71)は5日「毎日、涙を流しながら送った30年だが、いまだにめぐみが生きていると信じ、祈っている。韓国政府も事態解決のために協力してほしい」と話した。
次は主要一問一答。
――30年が経ったが、ほとんど進展がない。
「事件当時はそんな幼い子供を北朝鮮が拉致していくとは想像もできなかった。なので船に乗って海を回り、ダイバーたちが海の中を探した。北朝鮮に拉致されたことがわかったのは1997年だ。その後、日本政府が北朝鮮に米も与え、反対に制裁もしてみたが子供を返してもらうまでには至らなかった」(滋さん)
「北朝鮮の核問題だけではなく拉致問題も重要な犯罪だ。全世界が一緒に解決していかなければならない問題だ。もし皆さんの娘が今日の夕方、突然下校時に家の前で消えたら死に物狂いで捜しませんか」(早紀江さん)
――北朝鮮にいるめぐみさんの娘、ヘギョンさんに会いたくないか。
「今すぐ孫娘に会って抱きしめてやりたい心は切実だ。しかし恐怖政治を広げる北朝鮮で孫娘の立場が危なくなる行動はしたくない。めぐみの件がきちんと解決してから会わなければならない」(早紀江さん)
――30年の間、守ってきた希望を持ち続けるか。
「2002年9月、小泉純一郎首相が北朝鮮へ行ったとき、北朝鮮が拉致したと明らかにした曽我ひとみさんは当時、誰も北朝鮮に拉致されたとは知らなかった。どんなことが北朝鮮で行われているのか誰も知らない。私たちは最後までめぐみが生きていると信じます」(滋さん)
「うちの子供がいまだに北朝鮮の地で『助けてくれ』と叫びながら頑張っていると信じている。親として私たちも頑張る。世界中の人々も『子供を親の元へ返して』と一緒に叫んでほしい」(早紀江さん)
でも、他を見て、「朝鮮人として恥ずかしく」なったようです。
5日午前、訪れた新潟県寄居中学校の前に立った記者は混乱した。横田めぐみさんが北朝鮮工作員に拉致されてから30年。めぐみさんが家に向かった道には住宅街と大学街の間で、住民たちは平穏に往来していた。
もう1つ混乱することがあった。事件発生当時、担当捜査官だった新潟県警察本部の小幡政行外事課長は「これから事件が忘れられていくのではないか」という質問に物静かな口調でこう返事した。
「捜査を担当した多くの同僚・先輩たちが亡くなったり、引退したりしているが、残していった言葉を忘れることができない。彼らはもっぱら『数多くの事件を担当したがめぐみさんが北朝鮮に拉致されたことを我が国に取り戻すことができなかったのがいちばん悔しい』と一様に言った。私も同じだ。拉致された国民をどうしても戻すことが国家の公僕である私に与えられた使命だ。あなたをここに案内したことも、どうであれ事件解決に役に立つと考えたからです」
事件現場から10分ほどの距離にある新潟県庁に行ってみた。めぐみさんを含む新潟で拉致された4人の事件現場が航空写真で分析されている。関連資料はまたどうしてこんなにも多いのか…。それも日本語版だけではなくハングル版、英語版さまざま用意されている。政府が積極的だからいまだに住民の情報提供も絶えないという。同行したイスラエル人特派員は「日本政府が自国民を保護しようとする情熱と粘りに感動した」とし「私に手伝えることがあれば何でも言ってくれ」とその場で日本側関係者に伝えた。
よく韓国では日本が政治的意図で拉致問題にとらわれすぎているという。そのため国際社会から孤立し、6カ国協議でも孤立しているという。もちろん当たっている部分もある。しかし、最小限、新潟の現場で見た彼らの情熱はそんな複雑な計算ではなかった。自国民を保護し、奪われた自国民を取り戻すという、あまりにも基本的な政府の任務をまじめに遂行しているだけだ。米国も数十年が経った韓国戦当時の戦士者の遺体を捜すのに全力を尽くしている。
日本政府が認めた日本人拉致被害者は12人。関連団体と家族たちが主張する韓国人拉致被害者は約500人だ。「韓国はどんな状況ですか」。県庁を出ながらドイツ特派員の投げかけた質問が大きなつかえとなって胸をしめつけた。 金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員
2007.12.11 10:50:12
↑の記事を書いた記者の第2報です。とんでもねえ野郎だ。
「北朝鮮にいる孫娘、抱きしめてやりたいが…」
めぐみさんのご両親である横田滋さん(75)と早紀江さん(71)は5日「毎日、涙を流しながら送った30年だが、いまだにめぐみが生きていると信じ、祈っている。韓国政府も事態解決のために協力してほしい」と話した。
次は主要一問一答。
――30年が経ったが、ほとんど進展がない。
「事件当時はそんな幼い子供を北朝鮮が拉致していくとは想像もできなかった。なので船に乗って海を回り、ダイバーたちが海の中を探した。北朝鮮に拉致されたことがわかったのは1997年だ。その後、日本政府が北朝鮮に米も与え、反対に制裁もしてみたが子供を返してもらうまでには至らなかった」(滋さん)
「北朝鮮の核問題だけではなく拉致問題も重要な犯罪だ。全世界が一緒に解決していかなければならない問題だ。もし皆さんの娘が今日の夕方、突然下校時に家の前で消えたら死に物狂いで捜しませんか」(早紀江さん)
――北朝鮮にいるめぐみさんの娘、ヘギョンさんに会いたくないか。
「今すぐ孫娘に会って抱きしめてやりたい心は切実だ。しかし恐怖政治を広げる北朝鮮で孫娘の立場が危なくなる行動はしたくない。めぐみの件がきちんと解決してから会わなければならない」(早紀江さん)
――30年の間、守ってきた希望を持ち続けるか。
「2002年9月、小泉純一郎首相が北朝鮮へ行ったとき、北朝鮮が拉致したと明らかにした曽我ひとみさんは当時、誰も北朝鮮に拉致されたとは知らなかった。どんなことが北朝鮮で行われているのか誰も知らない。私たちは最後までめぐみが生きていると信じます」(滋さん)
「うちの子供がいまだに北朝鮮の地で『助けてくれ』と叫びながら頑張っていると信じている。親として私たちも頑張る。世界中の人々も『子供を親の元へ返して』と一緒に叫んでほしい」(早紀江さん)
でも、他を見て、「朝鮮人として恥ずかしく」なったようです。
5日午前、訪れた新潟県寄居中学校の前に立った記者は混乱した。横田めぐみさんが北朝鮮工作員に拉致されてから30年。めぐみさんが家に向かった道には住宅街と大学街の間で、住民たちは平穏に往来していた。
もう1つ混乱することがあった。事件発生当時、担当捜査官だった新潟県警察本部の小幡政行外事課長は「これから事件が忘れられていくのではないか」という質問に物静かな口調でこう返事した。
「捜査を担当した多くの同僚・先輩たちが亡くなったり、引退したりしているが、残していった言葉を忘れることができない。彼らはもっぱら『数多くの事件を担当したがめぐみさんが北朝鮮に拉致されたことを我が国に取り戻すことができなかったのがいちばん悔しい』と一様に言った。私も同じだ。拉致された国民をどうしても戻すことが国家の公僕である私に与えられた使命だ。あなたをここに案内したことも、どうであれ事件解決に役に立つと考えたからです」
事件現場から10分ほどの距離にある新潟県庁に行ってみた。めぐみさんを含む新潟で拉致された4人の事件現場が航空写真で分析されている。関連資料はまたどうしてこんなにも多いのか…。それも日本語版だけではなくハングル版、英語版さまざま用意されている。政府が積極的だからいまだに住民の情報提供も絶えないという。同行したイスラエル人特派員は「日本政府が自国民を保護しようとする情熱と粘りに感動した」とし「私に手伝えることがあれば何でも言ってくれ」とその場で日本側関係者に伝えた。
よく韓国では日本が政治的意図で拉致問題にとらわれすぎているという。そのため国際社会から孤立し、6カ国協議でも孤立しているという。もちろん当たっている部分もある。しかし、最小限、新潟の現場で見た彼らの情熱はそんな複雑な計算ではなかった。自国民を保護し、奪われた自国民を取り戻すという、あまりにも基本的な政府の任務をまじめに遂行しているだけだ。米国も数十年が経った韓国戦当時の戦士者の遺体を捜すのに全力を尽くしている。
日本政府が認めた日本人拉致被害者は12人。関連団体と家族たちが主張する韓国人拉致被害者は約500人だ。「韓国はどんな状況ですか」。県庁を出ながらドイツ特派員の投げかけた質問が大きなつかえとなって胸をしめつけた。 金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員
2007.12.11 10:50:12
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